人生と働くことについて、誰もが考えるテーマだろう。
俺は金稼ぎだけを目的とした仕事はできるだけしたくない。
やっていてつまらないと思う仕事はモチベーションも下がるし効率も悪くなり、精神衛生的にもよくないので可能な限りやらないことにしている。
自分がどんな仕事があっているのか、何がしたいのか。
ボーっとできる時間を増やしたおかげか、以前よりは自分を理解できるようになっているようで、合わない仕事を選ぶことはなくなってきた。
一方で今度は労働時間の問題。
働く時間を長くすれば自分の時間がなくなって、幸せを感じることが難しくなる。
週5日働いて週休2日でも時間がないと感じる。
あれもやらなきゃ~、これもやらなきゃ~と焦燥感にあおられる。
土日なんて必要なことをやっていたら、あっという間にすぎてしまう。
性格がずぼらだからなのかもしれないが、時間がないと自炊も面倒になるし、掃除もいい加減になっていく。
俺の人生においての重要リストの中には
「良い食事をとること」
「十分に睡眠をとること」
が入っているので、忙しいからといって、これらをないがしろにしたくない。
でも「普通」に会社で仕事をすると、8時間とかそれ以上を会社で過ごすことになるわけだから、自ずと自分の生活の優先度を下がり、仕事にペースを合わせることになる。
俺の場合、これだと幸せになれそうもないので「仕事」に対する考え方を変えるしかなくなった。
キャリアとかステイタスとか、そういう考えは「日本の普通はもういいや」、とドロップアウトしたときにどこかに落としてきた。
だから、大多数の人にはバカに見えるかもしれないが、もうそれでもいいやと思って、ドロップアウト後は自分に合った幸せを追求していくための人生を送ることにした。
そして紆余曲折した後、週休3~4日の生活に至る。
働く日を減らし休みを増やして、自分のやりたいことをやっていたほうが、俺の場合は充実感がある。
雇われて自由を奪われることが性根に合わないのだろう。
そういうわけで、今回は日本で普通のことである労働にほとんどの時間を費やすという人生のあり方ついて書いてみたい。
本当は働きたくないが、人生に立ちはだかるお金の問題
そのおかげでお金は減ったが、お金がないなりに生きていく方法を探求していくことに楽しみを覚えるようになってきた。
もう少しお金が増えたほうが、ゆとりもできて幸福感が上がるかもしれないので、そのための模索も一応してるけど。
だからといって、大量に金がほしいとも思ってない。
喉が渇いている時のことを考えてみる。
カラカラの喉に早く何か水分を流し込みたい。
このとき飲む飲み物は、ゴクリと音がするかのごとく飲む1口めが1番うまい。
次の1口は、うまさを1口めよりも感じにくくなっている。
さらにまた1口。
「ウマい」っていう感じがますます薄くなっている。
お金をもって「幸せ」と感じる感覚も、喉の渇きを癒すのと同じだと俺は思っている。
お金と幸福感の関係も、年収600万とか900万とか、そのあたりの線を越えると大して変わらなくなってくるらしい。
(いろいろと説があるみたいだけど)
慣れてきて、「うまさ」を感じにくくなるんだろう。
こんな収入には到底及ばないワーキングプア階層に分類されるところに俺はいるので、そこまでなくてもいけるなーと思うんだけど、家族がいたり、必要なものが違ったりで必要なお金には個人で差があるから一概には言えない。
俺には、お金と時間のバランスが問題。
稼げても、「休みがない」状態だったり「時間がない」という状態ではワークライフバランスが悪い。
こんな状態なら働きたくないと思うのは当然なのである。
「仕事が命」という価値観の人以外にとっては、幸せが遠のいてしまうだろう。
俺の場合は、「休みがない」「時間がない」状態を避けるために週休3~4日の生活を現在は選んでいる。
手取りが10万くらい給料があがるという条件で週5日働くのなら、俺は週休3~4日を選ぶ。
そこには「自分で時間の使い方を選べる」という自由があるからだ。
週5日働くと、実際に週の5/7の時間を費やしているので当然だが、生きる時間を奪われている感がでてきてしまう。
週5日も働くと自分の人生を奪われている感がある
週休3~4日まで休みを増やして何をしているかといえば、散歩したり、そのついでにカフェに行ってボーっとしたり、自分の趣味に傾倒したり、好きな本を読んだり、今までの人生を反芻してみたりこのサイトの記事を書いたりたまには友達にあったり、他の人からみたら「なんということはないこと」をしていると思う。
でもこの「なんということはないこと」が人生には重要だと思っている。
ほとんどすべての人間の人生というのは個別で多少の差はあるだろうけれどこの「なんということはないこと」が占めているのではないか。
特に食事をしたり、睡眠をとる時間は人間を生かすための最も基礎的な部分。
これを甘くみれば、身体は疲れを回復できなくなる。
無理が重なれば、身体もだるくなってくるし、それが病気にも繋がる。
病気というのは身体からの「もう無理です」というメッセージだ。
医者に行って薬をもらったり手術をしたといっても、それは薬で症状を抑えたり、病気で状態が悪くなったところを切ったりしただけで、病気になった原因を取り除いたわけではない。
同じような生活をしていれば、また同じような病気になるだろう。
また、喫茶店やカフェに行ってぼーっとする時間は、現代的な生産性の観点からいうと無駄だが、こういうときに自分がいいなぁと思える時間を過ごせるなら、それは自分にとっては大切な人生の満足度とは切り離せない時間なのである。
とにかく何か金になるものを作っていないと時間の無駄だというのは、精神をもつ人間には無理のある話なんじゃないかと俺は思っている。
そういう無駄を取り除くから、人間は精神的に病気になってしまうのかもしれないとさえ思う。
この世の中というのは人間の脳なんかよりはるかに大きいので、人間の頭で考えるよりずっと複雑なことが絡まっているのではないだろうか。
「働く=人生」という考えが合わない人たちの幸せ
睡眠時間を削って、がんばって仕事や勉強をして、昇進してお金をたくさん稼いで、人生を「邁進」していくというのが日本で戦後にもてはやされてきた人生モデル。
(そういえば「24時間戦えますか」とか昔CMでながれてたよね)
現在でも、このモデルが残っているし、けっこう多くの人がこの道を進んでいるように見える。
今まで、受験とか就活で何十年とそれをやってきて、「これ超自然なライフスタイルだわ」と思える人は、そのまま貫いたほうが最終的に幸福になれるだろう。
しかし、そうでないと感じる人もいるはずだ。
下の記事でも書いたが、現実として「疲れた」という言葉があふれている。
「毎日、一生懸命に働いているのに、何で幸せになれないんだろう」
そういう人は自分の幸せの感じ方が違うのだから、人生の進む方向を修正したほうが幸福になれるかもしれない。
しかし「毎日我慢して働いてお金を稼げば幸せになれる」という考えも幻想だという可能性もある。
なぜなら、日本人というのは小さい頃から、おもしろくもないことを無理やりに頭に詰め込まれ、耐え難い「前習え」みたいな体勢をとり続けさせられているため、我慢すれば後で楽になれるということを刷り込まれていると俺は思うからだ。
日本の義務教育の勉強なんて、記憶すれば点数が上がるし、教師の号令に従うことで評価も上がる。
しかしこの世で生きていくということは、そんなに単純なことではないしランダムに無数の事が発生する。
刷り込みどおりに動いても、それが自分の幸せにつながらないことも多いのではないか?
だいたい「週に5日働く」のが基本というのは誰が決めたのだろう。
いつのまにか週5日学校に行ったり、会社で働くことにされているのではないか。
そして、その基準に本当に自分の実感として納得できるのか。
週に5日働き、週休2日の友達と休みの日に話をしていても「会社に行きたくない……」と思わず口からこぼれることも少なくない。
幸福観っていうものは、誰にでも一律にあてはまるような客観的なものではなく、すごく主観的なものではないかと俺は思う。
俺の幸福観では、自分の時間が重要なウエイトを占めている。
週休3~4日の生活も、その自分の時間を重視した幸福観をもとに試してみたことだ。
これを完全週休5日までにすることができるか。
雇われて死ぬまで命令されて生きるのが嫌な身としては、いろいろと試行錯誤してやってみるしかない。
(→2016年後半からは週休5日生活になった)
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