俺の人生の大きな転換期は、大学時代に就活するのをやめたときだろうか。
ドロップアウトした理由を聞かれたとしたら、この頃考えていたことをまず話すと思う。
偏差値がそこそこ高い大学に通っていたからか、意識が高い人たちが多く、友達はみんな就活に全精力を傾けていた。
髪を染めていた人たちは一斉に黒に染め直し、いつも着ていた衣服を脱ぎ捨て、スーツを身に身にまとって企業の説明会に足を運んでいた。
自分自身を一旦消し去って、誰かになりきって、そういう自分を企業に提供することでお金を受け取るのが働くことなのか。
俺にはそんなふうに見えて、このまま会社に雇われる人生を送ることで「幸せ」になれるイメージがもてなかった。
なんとなく働いてみたい分野がなかったわけではないが、それらはことごとく休みのない業界だった。
毎日、朝から晩遅くまで働いて、さらに土日まで働くという話をよく聞いていた。
自分自身を捨てて、時間までもを会社に捧げる。
それでこの先何十年も暮らしていったら、俺は何になってしまうのだろう。
「日本の働き方をおかしい…」とドロップアウトした理由は?
大学生の頃から外国へひとり旅をし始めて、さまざまな国々から来た、型にとらわれない生き方をしてる人たちと話をする機会があった。
会社で働いている人もいたけど、1ヶ月くらい休みをとってゆったりと旅行している人がけっこういた。
ヨーロッパからきている人たちにはそれが普通のことだった。
だいたい夏にみんな1か月くらい休んで旅行にでたりする。
大学に行く前に1年くらい海外を放浪したりして、何をしたいのか考えているという人もけっこういた。
仕事を首になったから、失業保険をもらいながら1年くらいアジアを放浪している人もいた。
10年くらい仕事をしながらずっと旅をしている人もいた。
日本人で会社を辞めて旅行してる人にもたくさん会った。
会社を辞めるくらいしないと、長期の旅行なんてできないと皆口々に言う。
「仕事で休みもなく縛られているのが嫌になって……」と、仕事を辞めた理由を教えてくれた人もいた。
学生のうちにたくさん旅行したほうがいいとも言われた。
日本人で長期で旅行してる人は、ほぼ会社を辞めた人か学生。
会った人たちを思い返せば「普通」の道をドロップアウトした人たちにたくさん会えた気がする。
そういう個性的な人たちとの出会いで生きる意味を考える機会を多くもつことができた。
日本で就職したら、休みはないし、もうこんな旅もできない。
今までの旅で出会ったような、自由で魅力的な人たちとの偶然の出会いも減ってしまうだろう。
これから自由が喪失していくだけの人生なのか。
多くの人がやるように、大きな企業に就職して、給料たくさんもらって、結婚して、家をローン組んで定年まではたらいて返す。
これである程度は安心。
でも楽しそうな感じもワクワク感も感じなくて、好奇心旺盛だった自分の心には響いてこなかった。
バブルのときのことなんて知らない世代だし、リストラも多くなっている時代に青春期を過ごしたからか、会社に捨てられて転落した人を身近にも見てきた。
安定なんて人生のうちに起こる予期せぬ出来事によって簡単に壊れるものだと、そういう人たちを見て学んだ。
ただ従順に会社で働いていれば幸せになれると思いこむことができる時代はすでに過ぎていた。
こういったことは、俺がドロップアウトした理由とも深く結びついていると思う。
本がドロップアウトを後押しした
その頃に読んでいた本も、「人生における重要なことはゆっくり考えて生きていけばいい」というスタンスのものが多かった。
自分のこの世でどうやって生きていくのかをちゃんと考えてからこの世界で生きる具体的方法を考える。
こんな遠回りになりそうなやりかた、「いかに早く効率的に」が優先される現代の日本ではありえないのかもしれない。
それでも、これからまだまだ長い人生なのだから、自分に合った方法をどうにかして見つけたいという思いがどこかにあった。
本を読むことで、実際には会えない先人の考えを知ることができる。
「普通」の道を踏み外すのは怖かったが、先人たちが本を通してこんな道もあるんだよ、と語りかけてくれた。
そういうことも日本の働き方をドロップアウトし、人生を方向転換させた要因になっているんだろうと思う。
そのうちの一冊は東洋の哲学者、老子の本だった。
この本には、人生を考える上で重要なことが上手な比喩によって書かれている。
俺が最初に読んだ老子の本は、加島祥造さんが訳した『タオ―老子』
鹿島さんは詩人なので、イメージが浮かびやすい言葉選びがされていて、ほかの訳書よりも老子の世界に入りやすいと思う。
自分がダメになっても会社は助けてくれない
今考えてみれば、日本の働き方をおかしいと思うことは幼い頃にもあった。
俺の親は仕事に身を捧げるような働き方をしていた。
そのストレスもあったのかもしれないが、たいしたことをしてないのに家では人を馬鹿にしていた。
自分はなんでも知っていて、ほかの人は何もしらないとか思っていたんじゃないかと思うくらいだ。
モラルハラスメントもあった。
俺に自分の考え方を押し付けるような典型的毒親だった。
だけど、働きすぎたのか途中で精神に異変をきたした。
働けなくなったし、家族への暴言などもひどくなったし、時には暴力も振るうようになった。
その会社は、仕事を辞めてからは何も助けてくれなかった。
あれだけの時間を捧げていても、やめたら終わり。
しかもその影響は家族にまでくる。
その後の人生がめちゃくちゃでも、それは個人の責任にされる。
労働時間が長すぎれば、精神が壊れる人が多くなるのは、現在の精神病の患者数をみればわかるだろう。
あの頃は、まだいろんな精神病が一般的に知られていなかったから仕方なかったのだが。
会社なんて辞めたらこんなもんなんだと、このときからどこかで思うようになっていたのだと思う。
「普通」に働かない人生へドロップアウト
大学卒業後は、「普通」は就職して働く。
それが「普通」に生活していたら、「普通」に考えることなのだろう。
だけど俺には、なぜかその「普通」を考え直す体験をした。
たまたまそうなったのか、それとも運命だったのか。
選んだのか、選ばされたのか、それしかなかったのか。
そこはわからないままだが、そのままの流れにのって就活はせず、自分のやりたかったことをとにかくやってみることにした。
直観的にはこっちだと思った。
今までの俺自身の目で見たことから判断してもそうだった。
もちろん先への不安に後ろ髪をひかれたけれど。
その後、フリーター生活、無職生活など紆余曲折したし、金銭的にはけっこう厳しかったけれど、なんとか生きてきた。
お金がない代わりに、なくても済むように工夫を凝らした。
食事も自炊がほとんどになったし、食材にも注意がいくようになったし、着るものも単に安いものでなく長く着れるものを選ぶようになった。
海外からは働きすぎと言われる、仕事中心で休みがない日本の「普通」の人生。
それをドロップアウトしたことを俺は後悔していない。
もちろんすんなりいったわけではなく、金銭面では苦労はした。
今は、週休3日~4日たまに5日で、自分のペースで生きている感じがある。
(現在は週休5日の生活になった)
「不安はないわけじゃないけど、なんとかなるものだよ」
これは、多くの旅人から聞いた言葉。
この言葉を心の片隅に置きつつ、なんとなく見えてきた自分の軸に従い、今、この時間を生きている。
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