ここのところは、ほとんど何もしていない感がある。
自分では本を読んだり、たまに家の掃除をしたりくらいにしか思っていない。
なんかこう……何もしたくない。
それでも「何かしなくては」みたいな思いもあるんだけれど、ぼーっとしている感と疲れた感じがあるので突っ走るのは止めている。
運転でいえば、意識がはっきりしていないときに無理にすれば事故が起きやすいから。
仕事は前にも書いたが休むことにした。
6月中はちょこちょこやったが、7月からは白紙。
なにも仕事をいれてない。
もうそうするしかない感がある。
やる気がでないのもあるが、こういうときに無理しても失敗も増えるし。
やる気がないのが一番大きいけど。
というわけでしばらくは仕事はしない方針をとった。
何か月休むかは未定。
人生の転機がきているのかもしれない
人生に転機が来ているかもしれないというのも前に書いた。
その流れで、ネットで検索したのか転機についての本を見つけたのでそれを今読んでいる。
ちょっとだけこの本の内容にかいつまんで触れながら、俺に起こっていることについて書いてみようか。
この本では、俺が考えていた「転機」という概念を「変化」と「トランジション」という言葉を使って以下のように説明する。
つまり、「変化」とは状況が変わることであり、一方、「トランジション」とは心理的に変わることである。トランジションとはそうした外的な出来事ではなく、人生のそうした変化に対処するために必要な、内面の再方向づけや自分自身の再定義をすることである
『トランジション ――人生の転機を活かすために』
この「自分自身の再定義をする」というときがきている感はなんとなくある気がする。
今まで考えてた「自分」が今の「自分」に合ってない気がするような。
「変化とトランジションの最も重要な違いの一つは、変化はゴールに到達するために引き起こされるもので、トランジションは現在の人生のステージにもはや当てはまらなくなったもの、あるいはそれとぴったりであるものを手放すことから始まるものであるということ」
『トランジション ――人生の転機を活かすために』
仕事に興味が一気になくなったのも、上記の「手放すことから始まるもの」に関係してないとも言えない。
これは、理性でお金がどうこうの問題を考えると不安要素が大きいのだが、もう興味が失せてしまったのは、俺のコントロールを越えていてどうしようもないのである。
なので仕事に関しては7月からは一切白紙にするという、無謀なことを実践してしまった。
でも、これも何か自分の内面の奥の方から、そうするしかないないと言われているような感覚だ。
私が言いたいのは、「内的な終わりが、トランジションを開始させる」ということだ
『トランジション ――人生の転機を活かすために』
俺が人生の「転機」かもしれないと思っているこの時期には何かが始まるのだろうか。
そのためにも、一気に興味がなくなった仕事は手放さなければならないのかもしれない。
もうあの仕事をやっている場合ではないという直観めいたものもある。
というわけで、今の状況を「転機(トランジション)」と捉えてそれに応じてみようと思うようになった。
方向感覚を失うことは意味ある体験であるが、楽しいものではない。日常的なものごとに現実感を感じられなくなる時、人は混乱し、空虚感に襲われるのである。それまで重要だったものは、くだらなく見える『トランジション ――人生の転機を活かすために』
今の俺はなんとなくこういう状況ではあると思う。
混乱しているかと言えば、そういう時期は去年の後半だったのかな。
今は空虚感が俺の感情の中では目立っている。
とにかく力もはいらず、時が過ぎていくという感じ。
転機の期間は人それぞれ。
大きい転機なら、それだけ期間も長いのだろう。
人生の転機の途中に起こる空虚な時を過ごす
最も苦しいのは、新しい何かを見つけ出すまで、虚無の時を過ごさねばならないということなのだ『トランジション ――人生の転機を活かすために』
自分で自分自身のために、「もはやふさわしいとは言えなくなった」ことが何であるのかをしっかりと捉える必要がある
『トランジション ――人生の転機を活かすために』
この「ふさわしくとは言えなくなったこと」が仕事なのか、あるいは他の事、たとえば価値観の変化なのか。
しばらくは、こういうことをぼんやりとではあるが、考えながら過ごしていくしかないのかな。
とにかく、何かが終わってしまったようだ。
俺はそれを自分の中で意味づけて、次に始まる何かに移行していく時期の前段階にいるということだろうか。
こういうときには、無目的にみえる行動をとることがよくあるらしい。
ふと「なにかやらなくちゃ」と思ったりすることもあるが、そんなに自分に負荷をかける必要もないのだとか。
このトランジションの期間での、明らかに非生産的なこの空白の時について、後ろめたく感じる必要はない。ニュートラルゾーンは、日々の生活における一連の活動からのモラトリアム(猶予期間)である。日常の活動は、従来のやり方以外では反応しにくい一連の刺激をあなたに提示して、あなたを「あなた」にしつづけている。だから、あなたはひとりになって、一見、無目的な行動をとる。そうすることによってのみ、「自己変容」という重要な内的活動に従事することができるのだ
『トランジション ――人生の転機を活かすために』
俺も前からしていることではあるが、一人でフラフラあるいたり、ぼーっとしたり、非生産的なことをしている。
最近は、さらにそういう時間が増えた。
この『トランジション』を読んで、今はそういう時期なんだろうと少し腑に落ちる感があった。
今はこの虚無的な時間を受け入れるしかないようだな。
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