毎日暑い。
汗は止まらないし、水を持ち歩かないと、喉が渇いてしょうがない。
総じてやる気が出ない。
午後は日が沈む夕方までは暑すぎて外に出たくない。
夜に寝ていても、暑くて目を覚ますこともある。
こんなに暑いのに、適温のときと同じように行動しようとするほうがおかしい。
やっていることが、人間の内にある自然に従っていない。
無理をしているから夏バテとかするのだ。
暑いんだから昼寝したり、日陰で休んだりすればいい。
それくらい当然のこととして許してやればいいのに。
だいたい暑い地域の人間は、概してそんなに働きまくってない。
イタリアだって、スペインだって、ギリシャだって、インドだって、東南アジアだって、人々はそんなにせかせかして働いている感じはしない。
ヨーロッパの南側の国は、昼寝の時間があるところもあるし。
東南アジアのお店の従業員なんて、マイペースにダラダラと仕事している感じだ。
あれくらいテキトーな感じで仕事したっていいと思うんだけど。
(日本には秋と冬があって、その分暑い国と寒い国の間のバランスをとっているという人もいるかもしれないが、イギリスだってドイツだってこんなに働いてない)
俺が旅をしたのは、下の記事にも書いたが離れたところから自分の住んでいる国がどんなところなのかをみたかったからだ。
昔から、なんであんなに会社に命をかけて働かなければいけないのか疑問に思っていた。
身を粉にして働く大人を見ていても、そんなに幸せそうには見えなかった。
「働く」=「幸せ」でないことは、周りの大人を見ているだけでわかった。
暑い夏はやる気がでない……乗り切るため対策と方法をあくまで主観的に考える
会社で雇われると、1年中、1日8時間働くということが生まれる前からいつのまにか決まっていたが、そんなの一生続けるのは耐えられない。
一生、1日8時間以上も行きたくもない会社に行って、おもしろいとも思わない仕事なんてしたくない。
想像するだけでもウンザリするくらいだから、他の道を探すほかない。
週5日、8時間働くのがいやなら、他のやり方で生きる方法を探すしかない。
そんなんじゃお金が足りないとか言うかもしれないが、余分にお金がかかる生活を前提にしなければいい。
自分が見ている世界というのは、自分の思い込みの世界でもある。
必要だと思って何か買うという行動は、お金のかからない他の方法でも代用できるのかもしれない。
学校の教育では、「外側の社会に自分を合わすこと」が人生を生きる唯一の方法かのように教えられるが、道は1つではなく他の方向にいってもいいはずだ。
他の道はお手本がいないから不安になるかもしれないが、「お手本に従う」とか「答えがすでにある」生き方自体、学校教育に慣らされているから安心するだけで、世界なんて日々変わっているし、そんなに変わらずに続く安定したものなんて、この世にはない。
インターネットとか人間社会をかなり変化させたけれど、俺が小さかった頃はそんなものができるなんて考えもしなかった。
20~30年でこれだけ変わるんだから、今後も大きく世界は変わっていくのだろう。
そんな変化する世界なのだから、もしかしたら現在王道と思われているような会社で雇われるという働き方自体、変化する可能性だってある。
大企業の「権威」だって崩れつつあるし、ネットのおかげでフリーランスだって働きやすくなっている。
結局は、幸せというのは主観的なものだ。
週5仕事したくないと実感として思っている人は、それを現実にさせていったほうが、さらに働いて給料を上げるより幸せになれるだろう。
俺の実感としては、外側の社会に自分を合わせているだけのときより、自分に合った道を探しもがいている現在のほうが全然マシだ。
今までの社会では「客観」という言葉ばかりがもてはやされて、「主観」なんて隅のほうに追いやられていた。
「客観的な視点」「客観的に見て」「客観的に言うと」なんて言葉をきくと、それまでの文脈にプラスの価値付けをしているような印象があるだろう。
だけれど真の意味で「客観」を生きれる人はいない。
本当の客観なんて、全世界を一目で見渡せなければ、得ることができない視点だ。
結局、人間は主観的にしか世界を意識できないし、幸せを実感するのは、自分の意識の内。
それなら徹底的に主観的に「幸せ」を考えたほうがいいのかもしれない。
客観とか言われている意見っていうのは、他人の意見である。
他人の意見に振り回されて意思決定して失敗したら、これほど後悔することはない。
というわけで、俺は主観的に「幸せ」を考えて、暑くてやる気が出てこない夏の間は、働くのはそこそこにして休みをとることにしよう。
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