ここのところ、部屋がめちゃくちゃになっていた。
脱いだ衣類は脱ぎっぱなしで床に放置されているし、本も散らばっている。
狭い部屋の床が、所有物で散らかり放題の状態。
最近は寒くなってきたのに、衣替えもできていない。
来週には友人が来るし、このままではさすがに部屋に招けないと思ったので片付けることにした。
俺はそんなにものをもっているわけではないし、こういうときは収納にしまいこめばいいだけなんだけれど、冬用の服を押入れの収納ボックスから出して夏用の服と入れ替えたりしていたら、あっという間に時間が過ぎていて、始めたのは昼過ぎだったが夜になっていた。
といっても、やりたかった部屋の片付けのうち、全部は終わらず次の日に持ち込みとなったんだけれど。
でもこれで部屋の片付けが終わる見込みはついたので、一安心。
あと数時間で片がつきそうだ。
片付けられず、汚い部屋になってしまうときは、頭の整理も必要なとき
「汚部屋」ともよばれる汚い部屋の状態が常態化している人以外で、部屋が汚くなってしまうときっていうのは、脱いだ衣服をそのまま放置したり、食べたものを片付けることができないような忙しいときだ。
心に余裕がなくなって疲れている。
俺の場合は週休5日の生活を送っているのに、なんでそんな状態におちいるのかといえば、意外とやりたいことがありすぎるのか、暇と感じることはないくらいで、好きなことをやっていると夢中になってしまうからだろう。
つい片付けが後回しになってしまい、気づくと部屋が散らかっていることが多い。
夢中になるのはいいのだけれど、その状態が続くと頭もいっぱいになっていて、やらなくてはいけないことが他にもあるにもかかわらず、自分の現在の状況を把握できなくなっている。
他にも書類仕事や、めんどくさいから後回しにしてきた様々な手続き関係のことも溜まってしまう。
このように使ったものを片付けることができず汚部屋になっているときというのは、心にも余裕がなくなっているときだ。
こういうときというのは1回立ち止まって休んだほうがいいというサインなのだろう。
下の記事にも書いたけれど、自分でさえも「疲れ」ていることには、なかなか気づかないのである。
コンピューターの状態にたとえるなら、タスクを処理しきれず、いくつものタスクが溜まっていて、CPUが追いついていないような状態でものすごく動きが遅くなっている状態とでもいえるだろうか。
いくら<ルンバなどの掃除ロボットが普及しても、人間の頭の中の散らかり具合までは掃除してくれない。
(俺にはこんなものを使うほどの余裕はないけれども……)
なので、部屋が汚くなってきたときは、そのときにやっていることを一度止めて、部屋の掃除から始めて、後回しにしてきたことを済ます。
1日で終わることもあれば、数日かかることもあるが、終わったときには心もすっきりして、頭も少し軽くなった気分になる。
少し落ち着いた後で、頭の散らかりも整理するために、自分を省みる時間をもつことにしている。
部屋が汚いままの精神状態のまま進んでも徒労に終わるかも?
週5日で仕事していたときなんかは、俺のものごとの処理能力がそんなに高くないからか、そんなふうに心の余裕がなくなっている状態がずっと続いていた気がする。
毎日の仕事と、食事を作ったり洗濯したり、やらなければいけないことをやっていればすぐに1日が過ぎていってしまう。
いつのまにか、目の前にあることをこなすだけで手いっぱいになってしまい、自分のやりたかったことから遠ざかってしまっていた。
その結果、充足感もなく「何か違うんだよなぁ……」と心のどこかでいつも思ってるような、うだつの上がらない日々が続いた。
時間がなさ過ぎると頭が整理できなくて、自分が進んでいる方向があっているのか間違っているのかもわからなくなってくる。
羅針盤をなくしたまま、大海原を航海しているようなものだ。
進む方向がわからないので、そのまま漂っているか、がむしゃらにどこかに着くことを祈って進むしかない。
運がよく、どこか自分の思っていたところにいければいいが、そうでなかったら最悪だ。
あんなに頑張って進んできたのに努力が水の泡になる。
こうならないためにも、頭がいっぱいで整理できなくなってきたら、一度止まって羅針盤を探さなければならない。
そういう必要のあるときのサインの1つが、俺の場合は部屋が掃除できなくて汚いときなのだ。
なので、俺も最近は自分を省みず突っ走り過ぎたようだ。
この汚い部屋の掃除が終わったら、すぐに他のことに手をつけるのではなく、自分の現在ある状態を少し省みて頭を整理する時間を持とうと思う。
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