昔、1人旅でヨーロッパの小国の首都に行ったとき、街の中心にある比較的小さな広場で、仏教僧がきる衣のような服を着た大道芸人の男2人組が目にとまった。
髪は黒く短髪で、目鼻立ちはくっきりしている。
中東からきたような様相をしているが、ユーラシア大陸のもっと東のほうから来たのかもしれないと思うような雰囲気も。
1人が地面に座禅のような姿勢で座り、片手で杖のような棒を持っている。
もう1人は、先の男の真上にピタっと静止したまま座禅の姿勢で浮いている?
漫画のドラゴンボールで身体を浮かせる術があったが、現実にあるわけがないし、目を疑った。
思わずどうなっているんだと足を止めてしまう。
通ってきた道で他にも何組か大道芸人を見かけたが、この2人の周りには圧倒的に多数の人だかりができている。
見物客は、どうなっているんだろうと不思議そうにこの大道芸人をしばらく見た後、2人の前に置かれた箱にお金を入れては去っていく。
俺は少ない予算での旅行中だったが、これはおもしろいと思ったので、1ユーロだけ箱に入れると、下に座っていた男のほうが、ほんの少しだけ頭を下げて会釈をした。
箱の中にはすでに1ユーロや2ユーロのコインがじゃらじゃらと入っていたし、5ユーロの札まであった。
俺が1日分働いて稼げるくらいのお金があったんじゃあないか。
まだお昼なのにも関わらず。
「あぁ、毎日行きたくもないところにいって、我慢してつまらないことをしなくても、こんなふうにお金が入ってくることもあるのか」このとき俺はそう思った。
仕事がつまらないし会社に行きたくない、東京で閉じ込められたように働く毎日
大道芸人の2人は、長い試行錯誤の上であの方法を考えついたのかもしれない。
だけれど俺の目には、自分にとって自然とできることで縛られることなく稼いでいるかのように見えた。
あの芸を思いついたのも、人の前で何かをしたり、人を驚かしたりするのが好きだからできたのだろう。
たくさんの人が通る路上で、自分がやれることを醸して、それを見た人が自発的にお金を入れていく。
彼らが自分に自然なことでいきているのかどうか、それが事実として正しかったのか間違っていたのかは、確かめる方法はないので置いておいておくことにしよう。
次に頭に浮かんできたのは、自分がお金を稼ぐために何をしてきたかということだ。
このとき俺は、日本でやっていた仕事を辞めて、1ヶ月くらいヨーロッパを旅行に出たところだった。
その前にやっていたのは、週5日、満員電車に詰め込まれて、ビルがひしめき合う街の一角にある、白色で統一された無味乾燥で居心地がいいとは思えないオフィスに通い、毎日同じような作業を延々とやるような、つまらない仕事だった。
自分の人生にとってやりがいのない、何の意味があるのか見出せない労働の繰り返し。
土日は休みだったけれど、洗濯や掃除をした後、友人や付き合っていた人と会ったりしていたらあっという間に休日は過ぎていって、また月曜日からは満員電車での通勤から始まる。
俺には前からやりたいこともあったのだけれど、それではすぐにはお金を稼げないし、生活するためのお金を得るために何か仕事をしなければいけなかった。
このときは東京に住んでいたので家賃も高く、生活費もその分多くかかるため、週5日働かないとやっていけない。
今考えれば、なんで東京で働くことに固執していたのかわからないのだけれど、このときは東京じゃないと自分のやりたい仕事は見つからないという思い込みがあった。
自分に合う仕事の探し方は? その場所はどこか
そのような仕事をしていた自分にとっては、あの大道芸人の2人がとても羨ましかった。
彼らは、誰にどうしろと言われることもないだろうし、あの仕事をいやいややっているようにも見えない。
自分たちで、仕事をする場所を選べるし、どんなことをやるのかも、何時間仕事をするのも自分たち次第だ。
新しいアイデアを試したりするのも自分の判断でできるし、人の反応も直接わかるし、やりがいもあるだろう。
その代わり、収入は確定的ではないけれど。
でもそうか、これは野生の動物の生き方なのか。
毎日、狩りか採集に出て、自分で必要な餌をとってくる。
良い狩場をみつけたり、食べられる植物が生えている場所を見つけることができれば、とりあえずはやっていける。
対して、俺の生き方はペットの動物みたいだ。
毎日、主人の言うとおりにしていれば、餌と住むところはもらえる。
でも、鎖につながれたままで、自由は制限される。
好きに移動もできないし、自分の処遇も主人の考え方次第で決まる。
もうこんな生活は嫌だ。
俺も、野生の生活をしてみたい。
そっちのほうが、俺の性格には合っている気がする。
息をするように自然に仕事をしたい。
でも、大道芸人の二人のように多くの人が行き交う場所で何ができるだろうか。
自分にとっての良い「狩場」はどこなのか。
人が足を止めてみてくれるようなことができるだろうか。
その場を離れて街を歩きながら考えていた。
「自分に合う仕事」が何かわからない理由
考えてみれば、自分には、自分自身と外側の世界のすりあわせが足りていなかったのだろう。
イメージや給料でなんとなく仕事を選んでいて、自分のことは二の次にしていた。
その仕事をやるために、自分は犠牲にして我慢し、ほとんど外側の世界に自分を合わせていた。
だから、楽しいとも思わなかったし、苦しいことのほうが多かった。
そういう行動をとる素地は成人するまでに作られたものだと思う。
うちの場合は、親が勉強を押し付けてくるタイプだったので、テストでいい点を取るくらいしか、親に受け入れてもらえる方法がなかった。
自分のやりたいこともあったし反抗もしたけれど、それを訴えても否定されるだけ。
自分の意志とはほとんど無縁なことを延々とやらされてきた。
だったら自立すればいいじゃないかと今なら思うが、その勇気も10代の臆病な俺にはなかった。
あの頃の俺には大人というのは何でも知っていると思うくらい大きい存在だと感じていた。
反抗したって、「まだお前は世間のことを知らないんだ」とよく言われて黙りこまされる。
大雑把にいえば、親が言った「世間」という言葉が意味するのは「有名大学に行って大企業に就職すれば幸せになれる」という今でも根強い考え方だった。
今なら、1人の大人が人生の中で知れることなんてたかがしれているし、自分を含めて大人も真実に手は届かないし、世界をすべてを知っているなんて到底思わなくなったので、自分なりの反論ができるが、その頃は言語能力もまだ低いし、理屈でこれに言い返す能力もなかった。
その後、親は失敗続きの人生をたどることになり、俺に言ってきたことを自分の人生で証明できもしなかった。
ストレスがきっかけで精神的に病み、家族や親戚にも暴言を吐くことも多く、親からはどんどん人が離れていった。
おかげで、俺が家を離れるまで、思い出したくもない記憶が積み重ねられることになる。
現在で言う「毒親」だったと思うが、俺も歳を増すごとにそれに気づき親が嫌いになった。
そんな親だったとしても、小さい子どもの頃というのは親からの承認を必要とするものだ。
だけれど、俺の場合は片親だったし、家族も崩壊しているようなもの。
親はほとんど家にいなかったので承認欲求を満たすのは難しかった。
普通の親2人分の承認を1人から得るのはかなり難しいが、俺の親はそういうことをわかっている人ではなく、自分の思い通りにならないと承認を与えない。
だけれど、小さかった俺は自分を認めてもらいたいばかりに親の言うことを聞く以外に満たす方法を知らなかった。
承認してほしいがための行動ばかりとっているうちに、知らず知らずのうちに、将来いい企業に入るために偏差値の高い大学に入る、そのために勉強をする、という道を進んでいた。
学校でだって、勉強をして言うことを聞いていれば、先生という身分の大人たちからも一応は認めてもらえる。
承認欲求を親から十分もらえないから、他人に合わせることで、どうにか補おうとしていたのかもしれない。
そういう状態に慣らされていた俺は、自分を押し殺して、外の世界に合わせることでしか生きる方法を知らなかった。
自己は外に出されることなく、自分の奥底にしまいこまれていた。
小さい頃から成長過程で受けたそういった影響を、旅していた当時でも、完全には拭い去れていなかったと思う。
だから、あの大道芸人たちが羨ましかったのだろう。
自分の持っているものを素直に人前にさらけ出して、「自然に」生きているようにみえた。
俺にはできない生き方だった。
自分に合う仕事のために、学歴とかキャリアを捨てるのか
じゃあ俺はどうすれば、そうなれるのか。
どうやったら、自己を閉じ込めて我慢することなく、できるだけ「自然に」生きていけるのか。
その旅路で、さらに日本に帰ってから、自分の人生を細かく省みた。
自分が今まで何をしてきて、どう感じていたのか。
どんなことなら、「つまんない」とか「早く帰りたい」とか嫌な気分にならずにできたのか。
嫌だったのは、オフィスに1日中いて、机の上だけで1日が終わる仕事だ。
俺はじっとしているのが苦手で、机で作業していると席を立ちどこかに行きたくなってウズウズしてくる性質。
だからオフィスで幽閉されるような仕事をしたときには、必ずあ~つまんないなぁ~とか、早く終わらないかなとか、そういう語句が頭を反芻し、仕事が終わる時間をひたすら待っていた。
一方で、動き回る体力を使う仕事をしているときは、負の感情が湧きずらい傾向があった。
さらに、毎回働く現場が違う仕事だと飽きにくかったし、それが何かを作ることだと、完成したときに目に見えることなので達成感も感じやすく楽しみもある。
こういうことを考えてみると、身体を使って動きまわる仕事のほうが自然に働けそうだ。
ここに興味のあることや、やってみたかったことをプラスすれば、より自分にあったものになるだろう。
仕事として考えてみれば、大学を出ているとか学歴と関係のない仕事のほうが条件として当てはまるものが多そうだった。
わざわざ好きでもない勉強をして大学に入って学歴を得たのに、それを人生で使わないのなら、今までやってきたことは何だったのだろう。
無駄だったのか。
そうか、やっぱりとことん無駄をしてきたのだ。
自分の行きたい場所の目標地点が完全にずれていたようだ。
だいたい、自分をよくみてみれば、大多数の人が騒ぐものに関心がない。
テレビに映ることをおもしろいとは思わないし、流行している音楽や映画には興味がない。
大通りにあるチェーン店よりも、細い脇道にある小さな個人店に惹かれる人間なのだ。
こんなやつなのに、大多数にあわせるような生き方をしていれば、そりゃあ苦しいに決まっている。
大多数の人が行く道から外れて、自分が好奇心を惹かれる道を探していったほうが、俺にとっては自然なことだったのだろう。
成長するにつれ、なんとなくわかっていたことだが、これだけ時間をかけて無駄をしてきたのかと思うと、受け入れるには時間がかかった。
だけれど、この価値観にこのまま引っ張られるようでは、同じことを繰り返すだけだ。
何かが違うと感じているのなら、生き方を変えるしかない。
自分が少数派なら、自分に合う仕事を追及した方がいい
その後、すぐにすべてが一変したわけではなかったが、それからゆっくりと時間をかけて自分の行動にも変化が出てきたように思う。
現在は、仕事でつまらないと思うのは、自分に我慢が足りないのではなく、ただ単に合わないだけだと割り切るようになった。
オフィスに行って1日そこで過ごす仕事はまず選ばないことにした。
外にでるからといっても、営業みたいな仕事で、好きでもない商品を頭を下げて売るのもやりたくない。
身体を動かすといっても、飲食業はずっとキッチンにいるのは息苦しいし、ホールの仕事をしても同じ店にいることに飽きてしまう。
だいたい、お客に気をつかって、クレーマーでもなんでもハイハイ言って言うこと聞くこと自体に我慢できない。
いろいろ考えてみても、合わない仕事のほうが多い。
合う仕事は少ないが、自分が少数派なんだから、合わない仕事が多いのは当然だし少ない中でやっていくしかない。
仕事を選びには何度も失敗したが、それでも、やっていて苦にならない仕事、達成感を感じることができる仕事に出会う機会を実際に得ることが何度かあった。
自分に似たような少数派の人たちが集まるような職場に出会うこともちょくちょくあり、そういうところだと居心地も悪くないことに気づいた。
(仕事は個人で別々にやるので、誰かと仕事をやることはほとんどないが)
飽きやすい性格なのだから、働く日数だって減らしたほうがいい。
それで節約もいろいろ試したが、収入が少なくなることが絶対的に「不幸」ではないし、週5日働かずとも、週休3~4日も、週休5日さえも不可能ではないことがわかった。
こういうところが俺の生きる道なのだろう。
外の世界の側に合わせることばかりしていると疲れてしまうだけだ。
多数派になれないような人間は、たとえ今まで積み重ねたものが無駄になってしまったとしても、大勢の人が行きかう大通りを外れて、路地裏から自分の性格に合う道を見つけて歩いていくほうが楽に生きれるんじゃないか。
そういう道を選ぶ人は数が少ないので、本や雑誌を見ても、インターネットで探してもなかなか見つけ難いかもしれないが、少数派の人にとっては、その過程は人生の中で課せられた通らねばならない門だったりするのかもしれない。
この社会は一人で待っていても助けてくれない
人生は生まれたときから不平等で、苦労が人よりずっと多い人もいる。
ラッキーなやつは、親も2人そろっているし、自分の意志も尊重してもらえるし、承認欲求もみたされて自然と自分に自信もでてきて堂々としているものだ。
俺なんて、満たされなかった承認欲求をいまだにどこかに抱えているし、自分に自信もないし臆病だし……
だけれども、こういう自分になったのも何かの運命なのだろうと受け入れるのも1つの生きる道か。
俺はまだそう思えるだけ、ラッキーなほうなのかもしれない。
想像できないくらいどん詰まりの状況の人たちもいる。
待っているだけではこの社会は助けてくれない。
人の歩んできた長い時間のほんの一部を見ただけで人を判断し、「自己責任」という言葉を安易につかうような世の中だ。
現在のところ、そういう状況はすぐには変わる雰囲気はないし、生きていくのなら自分で何か行動するしかない。
自分が動いて外の世界の他の人間やものと作用するときにだけ、偶発的な出来事が起こって、それが幸運だったりする。
(不運なことも多いが……)
人生を通して失敗を繰り返しつつも、徐々に自分と世界をすり合わせていくしかないのだろう。
自分に合う仕事を求めて、自分自身を見つめ、自分に自然とできることを考え、それが外側の世界と繋がる場所を探すことか……
そんなことを考えながら街をフラフラして、あの大道芸人の2人がいたところに戻ると、彼らは後片付けをしていた。
さっき見たときは上にいた男の衣が隠していたので見えなかったが、下にいたほうの男がもっていた木の杖の先には台座がついていたのだ。
下の男はその杖を支えながら、目を閉じて座っていただろう。
もしかしたら、頭でも支えていたのかもしれない。
「あぁ、まんまと騙された」と思ったが、それはむしろ心地よい「騙された」であって、コインを入れたことには後悔はなかった。
あの2人の姿は未だに事あるごとに浮かんでくるし、彼らがきっかけで考えたことは現在の俺の中でもまだ活きている。
彼らは、自分たちをみて見物客がこんなことを考えたなんて思ってもいないだろう。
人生はどこでどうやって他人に影響を与えているのかわからないものだ。
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