つい先日のある平日、いつもどおりカフェに行ってコーヒーを飲んでいた。
目の前はガラス張になっていて、街を歩いていく人がみえる。
スーツを着て仕事中の人や、ショッピングバッグをいくつも持っている人もいる。
男女で手をつないで笑いながら会話していく人もいるし、自転車もスイスイと通り過ぎる。
うつろな目で空を見ながら街路を歩いていく人もいる。
そんな風景を見ながらぼーっとしていると「次の休みどこいきたい?」と質問する男の声、それから「私、韓国かな~」という女の声が近くのテーブルから聞こえてきた。
俺は音に敏感なのか、周りの会話が聞こえてくると、 どうしても注意がそちらにいってしまう。
「俺は、アメリカかな~」
と男が答える声。
そちらのほうに目をやると、大学生らしい風貌の男女がテーブル席に腰かけていた。
椅子にはその彼のチェスターコートがかかっている。
俺はちらっとみただけで、また窓から見える風景に目を戻して、しばらくぼーっとしていた。
そんな時間の中で、また彼らの会話が耳に入ってきた。
「面接でよく聞かれるじゃん、あなたの挫折体験は何ですか~って。私ないんだよね、そういうの」と、女が聞く。
「俺もない」
「あっても大学受験くらいじゃない?」
挫折経験がないだと?
今日はこの会話について俺が考えた話。
人生で挫折経験がない人たちもけっこういることに驚いた
この20代の前半くらいの男女で挫折経験がないもんなのか?
年齢が若いにしても、この会話からわかるのは、家族にも何も問題がなかったということだし、学校でもすんなりとうまく溶け込み、病気もケガもなく、この年齢になったということだろう。
こういうのは普通なことなのだろうか。
それはすごくラッキーなことだと俺は思うのだが。
俺はまず家族がなかなか大変だったし、学校でも人間関係ではそんなにうまくはいっていなかった。
友達や知人の話を聞いていても、誰かの結婚式にでても思うのだが、俺の家は普通ではなかったようだ。
この2人が羨ましいと思うくらいに。
運がよければ大きな挫折体験も少なくて済むかも
挫折経験がほとんどなく、そのままうまくいく人もいるのだろうか。
今回の会話を聞いて結構多いのかもしれないと思ってしまった。
もちろん、勉強でうまくいかないとか、仕事で失敗をするくらいのことは人生には起こりうるだろう。
だけれども自分の努力ではどうにもならないような大きな出来事が降りかかってきて、それに押しつぶされてしまうような経験は、誰もがするような経験ではないのかもしれない。
思い返してみれば、俺の友達にも親戚にも、そういう類の人はいる。
家が不動産やお金をたくさん持っているし、親も寛容だし、好きなことを学び放題だったし、自信に満ち溢れている。
大きな問題もなく人生をスルっと進んで行く人たち。
こういう人たちは、家族という基盤がしっかりしている傾向があり、失敗してもカバーしてくれるので立ち上がり易い。
バックアップがあるんだから成功もし易いだろう。
政治家も芸能人も二世多いしな。
一方で、家族の基盤が危うい人たちは、小さい頃から親に認めてもらえることが少なく、自分で自分を認めてやりにくい。
なので自己否定感が強く精神的にも不安定になりやすいかもしれない。
家族というのは、子供時代に思考や習慣を身につける大きな環境要因なので、どの家族に生まれるかで、人生というのはそこそこの部分は決まるという見方もある。
コンピューターでたとえるなら、どの家族に生まれるかで、最初のスペックとどんなソフトをインスールするのかが決まるという感じだろうか。
ひどい環境で生まれ逆境をくぐり抜けて成功するみたいな話をマスメディアが美談として取り上げるが、あんなのはほんの一部だろう。
お金のこと、それ以外のことを含めても多くの人が気づいているように、この世は平等なんてことは全くなくて、生まれた時点でも大きな格差があり、その後の人生にも大きな影響を与えていく。
挫折を体験するかは運の要因も大きい?
この世には自分ではどうにもならないような経験をする人もいる。
あまりにお金がなかったり、家族のDVがひどい家庭だったり、精神疾患だったりアル中だったり…
自分が突然の病気や、事故にあったり……
あるいは、全く関係のない人からの犯罪に巻き込まれたりすることもあるだろう。
こういったことは、自己責任というより運の要因が強い。
そんな人たちは、そういうラッキーな人の言動ちょっとムカつくこともあるかもしれない。
俺にはそういうときが少なからずある。
ラッキーな人たちから「なんでも努力次第だよね」とか言われると、俺も「いつも努力できる環境にあるだけでラッキーなんだよ、あんたは」と返したくなるが、いつもぐっとこらえている。
言っても自分と同じ経験をしているわけではないし、わかってもらえないからだ。
そんなの幼稚な考えだよ、なんて言いたい人もいるだろうことは頭ではわかっている。
だけど思ってしまうことは仕方ない。
感情を行動に移すのは理性である程度はコントロールできるが、感情そのものっていうのはそう簡単には抑えられないものだ。
人間というのは、自分の人生しかいきれない。
自分の経験を基にしか根本的には考えられない。
さっきもいったように、ラッキーな人たちというのは、悪気があってこういうことを言っているわけではない。
なので、自分がラッキーでなかったとしても、それと比較しても仕方ないのだろう。
自分とは全く違う人生の道を歩んできてそういう思考回路になったのだから。
違う道を歩いているから、いく先も見えているものも何もかもが違うのである。
だから比較は意味がない。
でもあまりに辛いと、やはり「いいよなぁ」なんて思ってしまうこともあるだろうが、そう思ってしまったことを否定することはなくて、人間なんだからそう思うことがあってもいいのだ。
そんな気持ちをうまく受け止めてくれる人や場があれば、何とかやっていけるだろう。
そのためにも友達でもカウンセラーでもいいから、自分の気持ちを受けとめてくれるところをつくっておいたほうがいいと思う。
友達といっても、なかなか分かってくれる人は少ないし、カウンセラーも高いのが問題だが。
お金が一番かからないのはネットかもしれない。
自分の周りにはいなくても、世界には同じような人はけっこういるものだ。
人生において挫折経験から得られること
挫折経験を積むと得られるものは何かといえば、第1に共感力だろう。
辛い思いをしている人に、簡単に自己責任だなんて思ったりはしなくなる。
大変な思いをしている人に対して共感できるので、優しくなれるだろう。
またニュースの情報一つにしても、その報じられている状況の外にも想像がいくようになる。
たとえば、家族で苦労した人は、家族内の殺人事件が報じられていても、表面上報じられていることの背景をなんとなく想像できるようになる。
(もちろん殺人自体は肯定しないが)
他にも、忍耐力はつき易いかもしれない。
辛い思いをしてきた分、ちょっとしたことくらいでは大きく精神に影響を与えることは少なくなる傾向はある。
(挫折経験が精神にあまりに大きなダメージを与えている場合は別だが)
大きなことが起こらない日常にもありがたいと思える。
健康で毎日を暮らせているだけで十分だと思える人もいるだろう。
こういうふうに、今までの挫折経験があったからこそ感じられることも人生にはあるとは思う。
精神面の成長の仕方に関しては、運はそこまで関係ないかも
人生を比較しても意味がない。
それぞれにの人生の設定も違うし、その中で起こる人生経験というのは、個々人で大きく違うからだ。
比べて自分が劣っていると思っても、人生の何の得にもならない。
だからとにかく、淡々と自分の道を進むしかないのだろう。
その道の先々で何をするのか。
現代の資本主義社会は、とにかく何の方法でもいいから金を稼いで、稼げた人が称賛を浴びる社会になっている。
だから多くの人は、お金を稼ぐことに躍起になるのである。
一方、多くの宗教というのは、人が個人の人生の中で精神を成長させることを説いているが、それも確かに一つのモデルとなる考え方ではある。
(俺は特定の宗教には入っていないが、それぞれの宗教が何をどんなふうに考えているのかには興味はある)
精神の成長の仕方やあり方に関しては、運やお金や生まれはそこまで関係ないのかもしれない。
お金を持っていることには、あるいは稼ぐことが精神面での成長に繋がることではないというのは、テレビに出ている人たちが証明している。
もちろん貧乏だからと言って精神が成長し易いわけでもないが……
(さすがに極貧だったら、精神とか内面とかそんなことも言ってられないだろうけれども)
俺が知っている人の中でも、いくら歳を重ねてお金をもっていても、自慢話ばかりだったり、影響力を誇示したがったり、精神的に淀んでいる人というのはけっこういる。
もちろん、お金も持っているし精神面でも非常に磨かれた人もいる。
逆に質素に生活している人にでも、穏やかで人に優しく威圧感を与えないような人もいる。
また、辛い人生を送ってきたからこそ、人に共感できる能力を身につけられる人もいる。
年齢を増せば増すほどに、この精神面というのはだいぶ差がでてくるよう見える。
人生の最後、死ぬということ一つにしても、そのときとる態度というのは人によって大きく違う。
運が悪くてもこういう精神面においてのことは人生で追及することは可能だ。
そういう道を行くのも一つの人生だと俺は思う。
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