ここ何週間かで、なぜか俺の意識に変化があった。
前の記事にも書いたとおり、仕事に関して何もしたくなくなった。
今までそこそこ興味もあってやっていた仕事に、一気に関心が薄れた。
このままやっていけば、生きていくくらいには稼げるだろう。
でも一生やりたいと思うようなことでもない。
他にもやりたいことがある。
それなのになぜそちらに全時間をかけてやらなかったというと、やはり未来のことを考えると不安になるから。
すぐには生活を賄える資金を稼げそうにないからだ。
でもそんな未来への不安なんて、いつになっても消えないんじゃないか。
だってお金持ちになった人も、さらに稼ごうとしてるもんね。
さらに増やしてどうするんだろうと思うんだけど、見えない未来への不安がそうさせるんだろう。
未来への不安はたぶん一生消えない
10年20年後なんて、予想もできない。
今から20年くらい前、俺はネットでここまで仕事ができるようになるとは思ってもいなかった。
10年前でもその時点では現実味をもって思っていなくて、仕方なく賃労働をしていた。
20年前には政治的にここまでやばくなるとも思っていなかった。
これから10年後、20年後も俺が思ってもいないくらいの世界になるだろう。
予測不可能な未来はどうしたって、人間を漠然と不安にする。
先見の明がある人が予測を立てたりもするが、それが当たるかもわからないし、当たったにしてもその世界で自分がどう生きているかまではわからない。
そういうわからないことに無駄に不安になる必要はないのだろう。
その不安に自分の行動を制限されるくらいなら、その不安はなかったことにして行動したほうがいいのかもしれない。
やりたいことができないで後悔する人生
なんか前に祖母が死んだときに、人生って本当に夢みたいだなと思った。
90年以上生きた人だったし一緒にいた時間も長かったので悲しかったが、遺体を燃やして骨になった瞬間、なんかあっけないなと思ってしまった。
骨になると様相があまりに変わってしまうことで、執着が薄れてしまうのかもしれない。
俺もいつか死ぬんだし、どうでもいいことをするのはやめたいなと、この頃からいつもより意識し始めた。
それまでは死をそこまで強く意識していなかった。
だから無駄に先のことを考えてしまっていたのだろう。
先の心配をして、今の状況にどこかブレーキを効かせていた。
だからいかに効率よく働いて時間を作るかみたいなことを考えることにも時間を使ってきた。
フリーランスになってそこそこいい時間給で働ける状態にまではもってきた。
でも今は、そんなことさえしてる暇ないなと思ってしまう。
このままダラダラやってても、やりたいことができない人生で終わるんじゃないか、と思い始めている。
もうすぐ死ぬと思ったらやりたいことをやるしかない
あまり先のことは考えないで後3年くらいで死ぬとしたら何がしたいか。
やりたいことはいくつもある。
自分で作りたいものもあるし、行きたい場所も住んでみたい場所も世界にはたくさんあるし、自分で家を自分で作ってみたい(買うのではない)し、読みたい本だって数知れずある。
今やっている仕事はそれなりのお金がもらえるからやっているし多少興味もあるが、上記のことに比べたら別にやりたくはない。
3年で死ぬとしたらやらないな。
この間フッとお金のためにやっていた仕事に対する興味がなくなってしまったのも、そういう思いが背景にあったからもしれない。
やりたいことがない人のほうが多い?
「やりたいことがない」という人が多いらしい。
もしそれが本当だとするなら、やりたいことがあるというのはある意味奇跡的なことなのかもしれない。
そもそもやりたいことがあると、それが次の日を生きる活力になる。
俺が死なないでやってきたのも、やりたいことがあるからだ。
なぜか人生のうちにやりたいことが現れた。
俺の場合ここ15年くらい、そのやりたいことが変わっていない。
ある程度の持久性もある欲求。
そうだとするなら、この後の人生のすべてをかけても俺は後悔しないだろう。
さっきも言ったけど10年20年先の的確な予想は人生には不可能だ。
なら3年くらい先にすべてが終わると想定して、それまでにやりたいことをやろうと思った。
3年くらいだとやりたいことが具体的にでてくるし。
やりたいことを最優先。やりたくないことはもういいかなと
気が向いたときに労働しよう。
貯金は減るが、本当にやりたかったことを優先しようと思う。
今入ってる仕事はやるが、それ以外の賃労働はお金がどうしても必要なときだけにしようか。
なので週休2日よりさらに休みを増やすことになるかな。
1週間、一切働かないときもあるし、週1日だけ働くみたいな感じになると思う。
たぶん夏は働かない。
金がなくなったらどうしようか考えればいい。
なんかもういいや。
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