毒親のせいで劣等感が強い? 親で決まる人生は不公平だが対処法は?

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日本の義務教育過程のほとんどの学校では、同じことを同じようにできるように延々と訓練される。

勉強することも一緒。

制服も一緒。

靴も体操着も一緒。

「前習え!」で一斉に同じポーズ。
(これは今でもやっているのだろうか?)

その過程で、人は平等であって、誰でもがんばれば報われることを暗に刷り込まれる。

会社・仕事をやめたいのに辞められない理由とは。つまらない義務教育と関係?
電車で気分転換に遠くに行った。 車窓から畑がよくみえるくらい、都会から離れた駅について、隣に中高生くらいのが女の子が座った。 カバンから書籍をとりだす。 問題集だった。 早速、ページを開く。 細胞の図が描いてある。生物か。 もう一つ、ノート...

だが、現実はどうだろうか。

金もちの家に生まれる人もいるし、親が二人ともにそろっている穏やかな家庭に生まれる人もいる。

親が自分のやりたいことを尊重してくれるような人なら、もうラッキー指数は相当なものだ。

一方、生まれたときから、学校の給食費も払えないくらいお金がない家に生まれる人もいるし、自分の価値観を絶対に正しいとして子供に強制的に押し付ける親もいる。

親からのDVを延々と耐えている子供だっている。

そういうような子どもにとって有害な親を、「毒親」というらしい。

以下の2つの本には「毒親」について詳しく書いてあるので、気になる人は読んでみるといいかもしれない。

たまたま、そういう親のもとに生まれたのか、またはそういう運命だったのか。

それは人間にはわからないことだが、この点において子どもに責任があるとは言えないだろう。

ともかく、こういう親の下に生まれれば、自分を好きになれないとか、肯定できないような、劣等感の強い子どもになりやすいらしい。

自分を肯定できないとか、劣等感を抱えるようになれば、学校や会社という組織の中で生きていく「普通」の人生を送るには不利になることが多い。

こうして目には見えにくいが、心に傷を抱えて生きていくことになる。

以下の本に詳しく書いてあるが「消えたい」と思う心理は、周りの人からは見えずらい。

そういう子どもは年齢を重ねても、自信がなく、引っ込み思案だったり、自己表現が苦手だったりする傾向にあるようだ。

アダルトチルドレンというのは、生まれた環境によって、「毒親」たちに思考や性格にそんな影響を及ぼされた人たちのことを言う。

たまに誤解している人がいるが「子供っぽい大人」のことではない。

こういう過程で自己を形成する人たちもいる。

だから、20歳を超え年齢として大人になったら、すべてが自己責任、というのは乱暴な気がする。

それは「普通」に生まれて成長したラッキーな人たちの「普通」の考え方なのかもしれないが。

アダルトチルドレンのように、生育過程が原因で大人になっても生きづらいと感じやすい人もいる。

それが原因で、人付き合いが苦手だったり、欝的な気分になりやすかったり、社会生活では不利なことが多いようだ。

これもはっきり自己責任と言ってしまうんだろうか。

自分の選択で、劣等感を抱えていたり、アダルトチルドレンになったりするとも限らないのに。

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毒親の下に生まれることもあるし、人生は不公平なのが現実

生まれた後も、親に人生が左右される。

親に影響される月日が十数年くらい続いていくのだから、生まれたときの初期状態というものがいかに重要かわかる。

金持ちの家に生まれれば、教育にお金をかけてもらえる。
(残念ながら、日本は税金をこの点にあまり使ってくれないから格差が拡がる)

性格だって、生まれる環境と親に左右される。

美男美女に生まれるだけで、得をする。
(俺もイケメンに生まれていたらなぁ、と何度思ったことか)

「毒親」の下に生まれれば、愛されている感覚を得られず、自信がなかったり、劣等感をずっと抱えていくことで、人生の様々な面で損をする。

これだけ、初期状態に違いがあるのだから、最初から平等もクソもない。

人生は当たり前に不公平なのだ。

なのに、比べていたら劣等感が強くなるのは当然だ。

この不平等な世の中を生きていくには、人と比べず、自分なりの価値観を築くしかない。

「科学」という思想が普及したおかげで、 「客観的」な見方が何よりも正しいと思うかもしれない。

だけれど、「客観的」な見方を、個人の「人生観」に持ち込むと、自分を肯定できなくなる人もいる。

たとえば、勝ち組とか負け組とか、お金だけの基準で自分を他の人と比べても、先に言った生まれたときの初期状態が良くない人は圧倒的に不利だ。

もちろん、この勝ち負けの枠組みにおいて、這い上がれる人もいるが、全体からみればそういう人は少数だろう。

最初からいい条件で生まれてきた人たちのほうが圧倒的に強く、「勝ち組」と言われる人たちの多くの割合を構成しているのが現実ではないか。

お金もってるとか一流企業勤務とか、そういうことで勝負しても、もともとそういう家に生まれた人たちのほうがコネもあって、実際にチャンスが多い。

政治家のこどもたちが一番わかりやすい実例だ。

会社にはコネ入社できるし、そのあと親の地盤を引き継げば、簡単に政治家になれる。

お金の面だけでみたら、こういうのも「勝ち組」と言われるのだ。

「劣等感」や「人生は不公平」という思いへの対処法

不公平な世界なのは当然なのだから、自分の価値観で生きて、勝ちも負けもない、比較もできない方向に人生を進めるのも一つの手だ。

ラッキーなことに「普通」に生きてこられた人たちには、判断することさえできないくらいの違う道を歩く。

あまりお金のかからない生活をしていれば、生活の大部分をお金に支配されない。

それが習慣化すれば、お金を詰まれても自分の価値観に合わないことには首を振らない、軸のある自分を作れるかもしれない。

そうなったら、周りの環境にも取り込まれにくくなるし、比べなくなるから劣等感も感じにくくなる。

本来必要ない余計なものが自分の周りからなくなり、本当に必要なものだけが残る。

生きるのに、そんなに多くのものは必要ない。

なにより、自分の幸せや幸福観は自分しかわからない主観的なものだ。

それなのに、教育やメディアのいろんな情報の刷り込みによって、幸せや幸福の定義を決められてはいないか。

大学を卒業して、いい企業に勤めて、結婚して、家を持って……というパッケージ旅行のような人生がもてはやされてきたが、自分ですべてを決める一人旅のような人生のほうが合う人たちもいるはずだ。

自分の生きてきた道を時間をかけて思い起こし、自分の中の羅針盤によってこれから進む方向を決めること。

「人生は不公平だ」と感じてきた人にとっては、それが自分のこれからの歩みを進める第一歩になるのかもしれないと俺は思う。

非常識と言われても、世間体なんて気にしないで自分らしく生きるほうが、幸せな人もいる
ドロップアウトする人たちは、「普通」を自ら外れたとか、あるいは踏み外さずにはいられなかった、何か常軌を逸したところを持つ人たちだと俺は思っている。 「普通」の道というのは大多数の人間が歩く道で、今までに踏み固められていて、人生の先方を広く見...
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