真昼間。
家にいるのに少し飽きていたし、そこまで暑くならなそうな日だったので外へ出た。
いつもの散歩道をたどって、川沿いを歩く。
平日昼間だから、人通りがそんなに多くない。
最近は少し涼しくなってきて、散歩にはちょうどよい気温になってきた。
秋も近くにきているんだろう。
川には、たまにカモがポカーっと浮かんでいる。
カモはカモなりに周りの敵から攻撃を受けたりしないか注意を張りめぐらしているのだろうが、俺の目線から勝手にみさせていただくと、ポカーっとして時間が過ぎていくのをのんびり感じているように見える。
こういう見方をしてしまう心理の背後には、そういうゆったりとした時間の感覚を俺も感じたいという欲求があるからだろう。
あれくらい俺もポカーっとしたい。
そんなことを考えて川沿いを歩いていると、道の前方にこぶし大くらいの丸い異質な物体が目に入った。
なんだと思って近寄ってみれば、亀だった。
この都会の川にも亀がいるものかと思いながら少しの間、亀を眺めていた。
この亀、一生懸命に道を横切ろうとしている。
しかし、この道は平日であるとはいえ、自転車が通る道だ。
自転車に乗ってスピードを出してやってくる人たちが亀に気づかず、轢いてしまうかもしれない。
本当は亀の意志を尊重してそのまま放っておいてあげたいが、亀の歩く速度は一向に遅いままだ。
そう思っているうちにも何台かの自転車がやってきた。
亀さん、さすがにここは危ないから、川のほうに戻ろう。
そっちに行っても、人間の家しかないし。
そう心の中で語りかけながら亀を片手でつかみ、川に戻れるように、道路の真ん中から川側の端のところにそっと置いた。
せっかく途中まで行ったのに努力を無駄にしてすまない、と思ったが自転車に轢かれるイメージが頭によぎったのでおせっかいをやいてしまった。
努力が報われなかったとしても、実は良かったのかもしれない
亀を移動させた後、川沿いを歩きながら考えた。
「努力は必ず報われる」という言葉があるが、頑張っても報われなかったことなんて、ある程度人生を真面目に生きてきた人なら嫌なくらい経験済みだろう。
かといって、その努力してやったことは、ただ無駄でしかなかったのか。
自分の人生においてなんの意味もなさないのだろうか。
そういうことを考えてみたときに、さっきの亀との間に起こったことのような事が、もしかしたら人間にも起こっているのかもしれないと想像することができないだろうか。
たとえば、何かを成し遂げようと努力していたのに、それが頓挫して努力が無駄になってしまったとか。
もっと具体的に言うなら、仕事で何かの企画を通そうとがんばっていたのに、何かの拍子に白紙に戻ってしまったみたいな出来事か。
こういう類の事を先の出来事にあてはめるなら、あのときの亀を人間に置き換えたとして、あのときの俺は何に置き換えられるというのだろう。
人間より大きいもの?
その運命をつかさどる何かだとしたら……
努力が報われないという結果になったとき、人間は目の前で起こったことしか見えないので、すべてが元に戻って努力が報われなかったとしか思えない。
だが実は大きな視点でみると、そのまま行けば危険な目にあいそうだったから、それを避けるために元の地点に戻してくれたかもしれない。
あるいは、違う方向から行ったほうがうまくいくのを見越して、そっちじゃないよと何かが示してくれたのかもしれない。
もちろん、そのまま行った場合と、元に戻った場合の2つの現実を見なければ人間には比較ができない。
1つの現実しか経験できない人間には比較自体が不可能なことだ。
だけれど、目に見えない大きな流れみたいなものが、人間の動きを調節しているかもしれないことを完全に否定することもできないのではないか。
人間が日常に生きていても、自分を物理的につかんで動かせるような目に見える大きな生物には遭遇しないから想像しにくいかもしれないが。
(一応言っておくが、俺は特定の宗教には入れ込んでいない)
あの出来事によって、そういうイメージが俺の頭に浮かんでしばらく消えなかった。
そもそも俺が、あの亀をつかんで、端に持っていったことにも、何かの力が働いていたのかもしれないけれど。
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