あなたを「ダメ人間」にする一緒にいてはいけない人たち。アイデンティティが歪む?

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「お前はダメだ」
「~は…なところがダメなんだよ」
「お前、つかえね~な~」
「もっと~になりなさい」

こんな言葉を毎日、誰かに言われている人は、その人からできるだけ早く離れたほうがいいかもしれない。

なぜなら、人は言葉によって自分はどういうものなのか認識するからだ。

「私は~だ」

「私は~なところがある」

のように、自分は~である、というのをいくつか考えてみるといい。

ポジティブな自己認識だけでなく、ネガティブな言葉に行き当たる人も少なくないだろう。

それは自分の内から勝手に湧いてきた言葉なのか。

それとも誰か他の人に言われた言葉なのか。

言葉というのは、暗示になる。

自己認識・アイデンティティというのは暗示なのだ。

その言葉を昔を振り返りながら、つぶさにみていけば、ほとんどは誰かに言われ続けたものだとわかるだろう。

自分というものは、おもっているほど自分の意思で作り上げられたものではないのである。

「あなたは~だ」といわれ続けたことで刷り込まれ続けた暗示の結果が今の「自分」なのだ。

子供は、毎日、たとえば「ひろし」と同じ名前で呼ばれ続けることによって、その子は「ひろし」になっていく。

親から「ひろしはいい子ね」という言葉をいい続けられれば、それは自己認識の一部になり、「いい子」になろうと動く。

「ひろしはやさしいね」という言葉をずっと言われていれば、自分は優しいんだと思い込んでいく。

その自己認識が行動に結びついていく。

「お前は~だからダメなんだ」と言われ続けた人は、「自分はダメな人間だ」という自己認識になり、自信もなくなりやすい。

この「ダメ」というのは、親の意に沿っていないだけであって、その人間が絶対的にダメ人間なわけではないことが多い。

それでも、言われ続けることによって、「ダメ」だと思い込み、行動にマイナスな影響を及ぼしかねない。

「お前は、不細工だな~」といわれ続けた人間は、自分を「不細工」と思い込み、それが対人関係に申告な影響を及ぼすことは間違いない。

教師をとってもそうだ。

子供時代には、教師も身近な大人の1人であるし、小学校の担任なんて、毎日のように顔を合わせて一緒にいる時間が多いのだから、その言葉は子供の自己認識・アイデンティティの形成に大きく関わるのである。

この教師から否定の言葉を受け続けていたら、おそらく自己認識・アイデンティティも自己卑下したものとなり、将来に悪影響にしかならない。

自分の周りの友人・知人でも同じ。

高飛車で、人を見下してくるような人とは、一緒にいないほうが、自分のためなのだ。

なので、上記のような自己認識に関係するようなことで酷いことを言い続ける人からは、できるだけ早く距離を置いたほうがいいだろう。

→もっと詳しく知りたい方は以下の本をどうぞ

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親というのは自己認識・アイデンティティに大きく影響する

小さい頃に言われ続けた言葉というのは、自己認識・アイデンティティを作る上で特に重要な部分を担うことになる。

この自己認識が、大人になってもその人の行動や考えに非常に大きな影響を与えてしまうからだ。

だからというのは重要。

完璧主義な親の場合、子供は自信を持ちにくくなる傾向があるだろう。

自分の子供に対して「よくやったな~」という反応を示す承認の基準がものすごく高いからだ。

平均くらいでは「ダメ」の烙印、そこそこよくても「まだまだ」という言葉によって、いつまでやっても認めてもらえない。

そういう子供は、1番でないと「ダメ」なので自己承認もしづらい。

相当頑張らなくてはいけないので、相当にストレスもかかるし疲れる。

ストレスの耐性がなかったら精神的な病気になってしまうかもしれない。

また、自分に大きなコンプレックスがある親の場合も、子供にそれを押し付ける。

たとえば、自分が不細工だと思っている親は、娘が化粧をしているところに、「そんなのしたって元が悪いんだから変わらないんだよ」なんて言葉を吐くかもしれない。

冗談でいっているつもりかもしれないが、言葉というのは、繰り返し耳に入ることによって、確実に自己認識に影響していく。

親の承認をよく受けて育った人間は、自分を認めているから自信もあるので、堂々と自分を表現できる。

その結果、他人からも承認を得やすい。

反対に、親から承認を受けてこなかった人間は、自分を自分でも認めていないので自信がないことが多く、自分を上手く表現できなくなる。

なので「お前はダメだ」とか「不細工」とかネガティブな言葉を自分に対して投げかける人間からはできる限り離れたほうがいい。

「自分がダメな人間なんだ」「人より劣っているんだ」と思い込まされることで、「どうせダメなんだから」と、その人の行動意欲さえ奪ってしまうことになりかねない。

親だからといって、絶対に大切にしなくちゃいけないわけではない

知人や友達程度だったら、大人になれば距離を置くのは簡単だけれど、と距離をおくのは難しいという人も多いかもしれない。

「親なんだから」なんて言葉を日本ではよく聞くけれど、それも1つの思い込み、暗示のようなものだ。

日本は儒教の教えが、道徳とか教育だけでなく、生活の隅々まで入り込んでいるので、親を何がなんでも大事にするという刷り込みを小さい頃からされている。

親だって、結局は他人だ。

頼みもしないのに勝手に子供を産んだのである。

「子供がかわいいから」なんて自分勝手な理由で無責任に産む親もいる。

こんなことをいうと、「なんて親不孝ものだ」なんていう人もいるかもしれないが、そういう人はラッキーなことに良い親に育てられただけなのかもしれない。

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世の中には子供を苦しめる親もけっこう存在しているものだ。

最貧困女子という本を前に読んだが、この本にでてくる親たちというのは、その最たるものだ。

「親だから大切にしなければいけない」というのは絶対ではなく、親に大切にされた結果、大切にしたいと思うのである。

他の人間関係だって同じじゃないか。

大切にされた人には大切にしたいという感情がわくもの。

なので、親から良い言葉をもらえない人や、親から酷い仕打ちを受けている人は、できるだけ早いうちに親から離れて暮らしたほうがいいだろう。

それは自然なことなのだ。

『毒になる親』も参考になります

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