就活の面接で聞かれることは嘘で塗り固め。入試や就活で求められる人材になった自分て誰?

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しばらく前の話。

昼前、カフェに行って、ちょっとパソコンをいじっていた。

集中力のない俺だからか、周りの音がどんどん耳に入ってくる。

「面接で尊敬する人は誰って聞かれたら父って答えちゃダメらしいよ」

「え!そうなの?あぶな~い!父っていうところだった!」

近くで20代前半くらいの男女2人が話をしていた。

「なんか父っていうと、親離れできてないって思われるらしいんだよね」

流行の七三分けで、流行りすぎ感のあるMA-1ジャケットをきている男が言うと、

「じゃあ、誰にしようかなぁ……」

と肩くらいまである茶髪で、くるっとした前髪を眉あたりまでたらしている、ピンクのニットを着た女が答える。

「じゃああれは~、あの~……小説家のぉ~……」

「誰?」

「1Q84書いた人ぉ~」

おい、そのくらいは大学生なら名前でてくるだろと思ったが、男のほうは、

「それ、大学入試で言うことじゃね?」と返した。

おいおい、つっこまないでそのまま流すのか?

というか大学入試用の答えとか、就活用の答えとか、何なんだ?

就活の面接で尊敬する人は誰かと聞かれて、父と答えようと思っていたということは、大して問題もない平和な良い家庭に育ったんだろう。

それは問題ない。

ラッキーだったな、くらいにしか思わない。

だが、父と答えるのは不利になるから、全く思ってもいないことを答えるっていうのは?

模範解答があるってことか。

でもそれって結局、あなたは誰になってるの?

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入試・就活に適応しようとして、いつのまにか誰かになっている

入試とか就活では、合格基準を通り抜けるために、完全に自分を捨てて、何かになりきる必要があるらしい。

そのままの自分はダメだということだ。

学校とか企業が欲しがるのは、そういう自分を捨てて、何かになりきった人間ということになる。

逆らうこともなく言うことを聞く、お行儀のいい子たち。

何かをやるにしてもいちいち疑問を持たない人たち。

どんな過酷な業務を強いても、文句も言わずに残業して、場合によっては休日出勤もする、自己犠牲を厭わない人間。

自分ではない何かになりきることが、この社会では「大人」になる通過儀礼なのかな。

嘘をたくさんつける人間の方が、この世界では有利なのか。

あぁ確かに、実際そうだよな。

学校で先生の評価が高かったり、企業で出世するのはそういうタイプの人間だ。

そういえば小さい頃から、自分ではない何かになりきることを強いられている気がする。

「前習え」をはじめ、我慢をすることを延々とさせられているし。

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「やりたいことがない」という人は多いけれど、この社会で、「自分ではないもの」にならないと褒めたり認めてもらえないのだから、そうなるのも当然なのかもしれない。

個性の時代とか言うわりに、結局、企業・会社からはそんなもの求められてない。

そりゃ当然か、企業っていうのは、自身の身体を回す部品が欲しいだけだから。

劣化したら簡単に取替え可能な部品の1つ。

個性的で、他のと違うことをやって、今まで通りにいろいろなことが回らなかったら困る。

確実にお金が入ってくる見通しが欲しいんだろう。

だいたい、就活用に自分を作れる人間によって構成されたのが企業なのだ。

だから、「自分」を捨てて企業にすべてを捧げられない人は、会社で働くことは向いていないのかもしれない。

週5日、8時間か残業がある人はそれ以上の時間を会社で費やすわけだから、自分の生活を捧げていると言っても過言ではないだろう。

その見返りに、お金を得ているわけだ。

こういう生活を自然に受け入れられる人もいれば、そうでない人もいる。

ニートとか無職になる人って、なんとなくそういう生活に違和感を持ったりしてしまう人たちが少なくないんじゃあないのかな。

そういう「自己」をもってしまったんだから、企業・会社で働くことなんて最初から肌に合ってない可能性もある。

ならばいっその事、そんな道からは逸れて、全然違う道を行ってしまったほうが、性に合うのかも。

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いろいろ自分で考えなくてはいけないから、楽ではないけれど、それで苦労するのは誰でもない自分のためだ。

何のために働いているのかわからないときよりも、そういう生き方のほうが納得できる人もいるだろう。

企業・会社で働くことが人生のすべてじゃなくたっていいのだ。

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