このサイトを始めてから、すでに1年以上が過ぎているが、サイトのタイトルでも使っている「ドロップアウト」という言葉のこのサイトにおける意味を説明してこなかった。
今まで書いた記事を読んだ人には、なんとなく俺が使っている「ドロップアウト」の意味はわかるかもしれないが、ここで一応俺なりに説明しておこう。
「ドロップアウト」という言葉には、そもそもどんな意味があるのか。
大辞林で調べてみると以下のような意味がドロップアウトという言葉に当てはまるらしい。
1.社会から脱落すること。また学校を中退すること。
2.ラグビーで防御側が自陣の22mラインの後方からドロップキックを行って競技を再開すること。
3.長期間の治療が必要とされる患者が、途中で通院(治療)を止めてしまうこと。
大辞林より
大辞泉では以下のような意味が見つかった。
1.脱落すること。また、管理社会におさまることができなくて、枠の外に抜け出ること。「エリートコースから―する」
2.ラグビーで、防御側が自陣の22mラインの後方からドロップキックを行って競技を再開すること。
大辞泉より
ドロップアウト人生哲学上のドロップアウトの意味とは
大辞林でいうと、最初に出てくる「社会から脱落すること。また学校を中退すること」という語義が、このサイトで使っている「ドロップアウト」の意味とほぼ同じ意味だと思う。
「社会」という言葉は、日本だと働くことに人生をかけている人だけが入れるような場所みたいな意味になっているんじゃないか、っていうことを前に書いた。
この「社会」から脱落・逸脱することという意味で、俺はドロップアウトという言葉を使っている。
狭い意味での「社会」には不適合な人たち。
そんな人たちは、その「社会」で生きるのが辛いと感じてしまうだろう。
今度は、大辞泉の方の定義を見てみよう。
こちらの「脱落すること。また、管理社会におさまることができなくて、枠の外に抜け出ること」という定義の方がこのサイトで使っている「ドロップアウト」という言葉にはしっくりくるかもしれない。
「管理社会におさまることができなくて」というところが、俺の使っている「ドロップアウト」の意味にはハマる感じがする。
俺が会社で働くのが嫌なのも、会社に管理されている感じが嫌で仕方ないからだ。
「週5日働くのが普通」という状態でも十分に管理されてる感じがするし、毎日、上司はもちろん他の労働者に見張られている感じも、管理されてる感がハンパではない。
多くの自営業者の人や今どきに「フリーランス」を名乗る人も、この要因がかなり大きいんじゃないだろうか。
なんでこんなに管理されるのが日本ではうまくいくのかというと、小さい頃から「従順さ」を刷り込まれているからだ。
今はマシなのかもしれないが、体育教師の高圧的な態度や、前習えや行進をはじめとして、全員と同じ姿勢をとらせて辛くても我慢させるようなことを延々とやらされてきたのは俺だけではないだろう。
こうやって、上には逆らわない態度が形成され、「企業の労働者」として「国の納税者」として都合のいい従順な人たちが形成されていく。
給料が低くても、文句も言わない労働者。
税金が高くても、現状を肯定する納税者。
人を使う側からしたら、こんなに都合のいい人たちはいない。
もちろん、そういうことに逆らわないで人生を送ることもできるのだけれど、それが「真面目な生き方」とされていること事態、よく考えればおかしくないか。
まあ、おかしいと思わないからやってられるのかもしれないが、「真面目」というのは「従順」であることとは違う。
大辞林の「真面目」の定義を挙げてみよう。
1.本気であること。真剣であること。また、そのさま。
2.誠意のこもっていること。誠実であること。また、そのさま。
大辞林より
「従順」に生きていることが、本気で、あるいは真剣に生きていることだとは、俺には思えない。
そんな自分だからドロップアウトするしか、この日本で生きていくには方法がなかったのかもしれないなあと思うが。
「みんなが嫌でもやっているから仕方ない」という人もいるかもしれないが、そういう人はある意味、自分の人生を自分で考えることを放棄しているとも捉えることができる。
たとえ我慢するのが「普通」になってしまっていても、ただ我慢して従順に良い子のふりをしているのに耐えられない人もいる。
ドロップアウトの道はそんな人のためにある。
道なき道みたいな状態であることが多いけれども。
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