週5日会社に通う生活はけっこうな時間を会社にとられてしまう。
「社蓄」という言葉は、会社に人生の時間をむしりとられている状態だ。
「社蓄」状態は、「自由」とは正反対の状態だし、服従するのが相当好きでない人以外は幸福とはいえないだろう。
だからといって何か仕事しなければ、収入は減る一方。
さすがに貯金を削って追い詰められるような生活すると不安が増すし辛いので、適当に仕事はしている。
あー嫌だ、もう行きたくないとならない程度に。
週に2回くらいの仕事なら、飽きないしそこまで嫌だなーとも思わない。
(まあ、それでも働かずに済むなら働きたくないけれど)
相当にきりつめて時給のいい仕事をすれば、これだけでもやっていけるが、あまりに精神的に辛いのもいやなので、加えてもう1つ週1日~2日くらいの仕事をしている。
展望としては、将来、といってもできるだけ早く、週休5日にしたいと思っている。
俺の生活設計は、今のところは一人身で貧乏ながらに生きていくのを前提とした生活だけども。
下の書籍の著者の大原さんのように、20代でも工夫して週休5日を送っている人もいる。
生き方の参考になる点は、俺も取り入れていきたい。
週休3~4日の働き方にした理由。週5日も働きたくない
そもそも週5日働きたくない。
1週間のほとんどの日を会社で過ごしていたら、それはある意味すでに社畜なんじゃないか。
会社によってほとんど時間の使い方の自由を奪われているんだから。
しかも長期休暇だって満足にとれない。
俺はそんな「社畜」のような自由のない状態になりたくなかった。
だから休みを増やした。
もちろん収入は減った。
でもその分、時間的にゆとりがある生活になって、主観的には幸福感が増したと思う。
俺にちょうどいい労働時間は、週5日で毎日8時間働くことではなかったようだ。
いくらお金がもらえても、週5日以上の労働や長時間残業をさせるようなところで働いても俺は幸せにはなれない。
自分のエネルギーを搾り取られている感じがして辛いだけだ。
ライフワークバランスとしては、俺には週休3~4日くらいだと全然マシ。
「普通」の働き方をドロップアウトして、それに気づけただけでも良かった。
週休3~4日だと、1日で家事仕事を済ませても、まだ他に休みがある。
そうなると、平日昼間にもフラフラできて、休日のような込んでいる時間を避けることができる。
昼下がりのカフェに入って、外の景色を見ながらボーっとできる。
窓の外の木々の葉が揺れているのをみて、時間がゆっくり流れていくのを感じることができる。
夕日がゆっくり降りていって、空の色がだんだんと変化していくのをじっくり見ることもできる。
こういうとき、俺は幸せだなーとなんとなく思ったりする。
なんとなく感じる幸せは、時間にゆとりがないと感じることが難しい。
これは、週5日働いてたときはできなかったこと。
(現在は週休5日になりました)
週5日以下、できるだけ働きたくないけど「もっとお金があったら・・・・・・」
もちろん、「もっとお金があったらより楽になるのに」みたいな「もっと~」的な思考が働くときがないわけではないけれど、これは人間ならほとんどの人に恒常的に沸いてくる雑念だと思うので適当に放っておくことにしている。
お金が欲しいという欲求は完全になくなったわけではない。
しかし、お金を使って何かを買いたいと思うことは昔に比べてだいぶ減っていると思う。
海外貧乏生活を通して、自分に本当に必要なものを取捨選択する機会を得たことで、無駄なものを買うことが少なくなった。
こんな俺をみて貧困状態で不幸だと思う人もいるかもしれないけど、俺の主観的にはそこまで悪くない。
超幸福なわけではないけれど、絶望してるわけでもないし、週休3~4日なので今のところユルい幸せを感じることもできてはいるし。
お金でみれば、けっこうな低所得者で、底辺層に属していると思うけど。
客観的な基準だけで、人間は幸せを感じているわけではないんじゃないのか。
幸せの感じ方というのは、とても主観的なものなのかもしれないなぁと思う。
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