人生いろいろ。みんな同じく働くだけでは幸せになれないんじゃ…?

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日本は均質的な社会だといわれる。

謎の平等観を皆が共有している。

こどももみんな同じように育てようとする。

7歳くらいで小学校に入学し、12歳で卒業。

13歳で中学校へ、そして16歳くらいで高校へ。

こうやって「~歳になったら~になる」とみんなで同じような人生の歩み方に慣れていく。

20か21歳で短大とか専門学校を卒業するか23歳で大学を卒業したら、「働いていないと普通でない」みたいな価値観に浸り就職して、結婚してマイホームをもって、子どもを作って、その後は家のローンを返すために働くことに没頭する。

こういう生き方が「普通」とされ、それ以外は変わり者。

変わり者になることは、「普通」を脱落したものとみなされ、蔑まれることも少なくない。

たとえば、仕事をしていないで無職でいるだけでも、そういう目でみる人はけっこういる。

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人生はいろいろ。最初からみんな同じでも平等でもないのに……

ちょっと見方を変えると、日本では謎な平等観と教育によって人生が大手の旅行会社がつくったツアーのようになってしまっているように見える。

旗をもった人に先導されて、たくさんの人が行列を作って有名な観光スポットを回っていく「人生」という名のツアー。

人生とは、誰かの手によって作られたパッケージなのだろうか。

多くの小道が様々な方向に伸びているのに、そこにはわき目もふらず、皆で行列をつくって同じ道を行く。

大多数の人間がやっているから、同じ道を行くほうが先を見通しやすいし安全に見えるので、そうなるのは自然な流れなのかもしれない。

だけれど、そのツアーに参加しないと、その参加者からはすごく奇異の目で見られるし、ときには蔑まれることもある。

これは大多数側に立っているために、排他的心理が働くからなのか。

あるいは無理して働いているから、そうでない人間が許せないのか。

「ダメ人間」みたいな烙印を押されることだってある。

別にいいじゃん、みんなが行かない小道に入っていったって。

だいたい、何でそんなふうに、みんなで同じことをしなければならないのだろうか

たとえば〇歳で〇〇を学ぶなんて、別に人によって違ったっていいんじゃないか。

義務学校で教えるような、受験勉強のための詰め込み教育は、努力でなんとかなるとか言う人もいるけれど、もともと暗記力がすごい人がいることは確かだし、みんなが同じ初期状態から勉強を始めるわけではない。

コンピューターで言ったら、プロセッサの処理能力も違うし、メモリの容量だってハードディスクの容量だって、それぞれの人で違う。

だから、理解がめちゃくちゃ早い人もいれば、ついていけなくなる人もいる。

教育に金をかける気がないからかもしれないが、教師は1人だし、一定のペースで授業を進める。

ここでついていけなくなると、通知表で低評価をつけられ「自分が駄目なんだ」と思い込まされる。

でも、最初の初期状態がある程度一定にできる工業製品と同じように作り上げようとするほうが無理がある気がする。

だいたい義務教育で習う科目で人を評価するのはかなり雑なやり方なのでは?

人間にはいろいろな性質があるのに、それを義務教育の基準だけで判断し、それが得意でない人間はダメ人間の烙印を押しているのが今の教育になっている気がする。

教育の本質というのは大人が子供のもっている可能性を引き出す機会をつくることなんじゃないかと俺は思うのだが……

義務教育課程の勉強をつまらないと思っていた人間は俺の周りにはけっこういたし、今も電車で子どもたちがノートを見て必死に暗記しているのをみると、面白いと思うようなことを教えているようには見えない。

おもしろかったら、遊びと同じように自ら勉強をやりだすだろう。

無理をして覚えたことなんて、テストを終えたら忘れるのは大人たちだって経験ずみなのに……

自発的にはやらないから、子供を塾に無理に行かせたりする親もいるくらいだ。

つまらないと思うこと小さい頃から延々とやらせても、我慢する力を養われるが、自分のやりたいことを見据える目は曇ってしまい、将来、企業にとって扱いやすい人間が増えるだけなんじゃあないだろうか。

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小さい頃から、みんなで同じように、つまらないことを延々とやらせて、大人になったら企業にとって都合がいい人間になるように訓練しているのだろうか。

個々人が、それぞれの幸せを追い始めたら、困る人たちがいるのだろうか。

ああそうか、みんなが同じものを欲しがらなかったら大企業みたいな大多数に向けて大量に消費してもらう商品を作っているところは困るかもしれない……

働きまくる人生は誰の何のためのものなのか

海外に1人旅をしたり実際に住んでみたときには、様々な人に出会った。

多かったのは日本で言う高校を卒業して、あるいは大学を卒業してから1年~数年くらい様々な国を旅行して、その後の人生の方向を定めている若い旅行者。

20代~30代でも仕事をやめてから1年くらい放浪している人にもよく会った。

とくにフランス人とか。

フランスは失業保険がかなり長く出るらしい。

仕事を少しやって、失業保険をもらって旅をするのを繰り返す人もけっこういるのだという。

同じようなドイツ人にも何人も会った。

フィンランド人の40代くらいの男は、毎年とれる1ヶ月間の有給休暇を使って旅をしていた。

仕事を辞めて、長期で語学を勉強しにきているイタリア人の30代の男もいた。

日本で会った29歳だと言っていたドイツからの留学生は、大学に1回入ったけれど合わなかったらしく、結局辞めてから数年ダラダラし、もう一度大学に入って、日本語を学んでいるらしい。

その過程で日本に留学していた。

留学しているからと言ってめちゃくちゃ勉強しているわけでもなく、格安ホステルで住み込みのバイトを週数回することで家賃を浮かし、昼間からのんびりと過ごしていた。

この人は他の人より働き始めるのが遅れていることに何の後ろめたさもないようだった。

というか働くこと自体にそこまでの価値を置いていないのかもしれない。

こういう人が日本にいたら、普通じゃない人に分類されるのだろうか。

人生のいろいろな可能性を否定しない社会もある

人生、どんな道をいくのかは人によって違っていいはずだ。

幸せというものは、人によってそれぞれ感じ方が違うのが当たり前なんだし、会社で働くことに価値を置かない生き方が幸せな人たちもけっこう多いのではないか。

ブラック企業がこれだけ問題になっているのだって、働くことを重視する価値観が蔓延っている結果そうなっているんだろう。

同じ道を選んで、同じ信号に従って、同じように進む必要はない。

進む方向が合わないと思ったら、何歳になったって違う道を探し始めたっていいじゃないか。

海外に住んでいたとき会ったスコットランド人の40代くらいの男性は、その当時はいい給料をもらっている銀行員だったけれど、宇宙についてもっと勉強したいから、大学へ入りなおすと話をしていた。

もちろんヨーロッパ圏の大学は学費がかなり安いという状況の違いはあるけれど、そういうおおらかな社会を可能にする国の状態を作れるのが本当に豊かな「先進国」なのではないだろうか。
(先の日本にきていたドイツ人留学生に聞いたところ、大学の学費は年間10万ちょっとくらいらしい)

何歳になったって仕事をしていない人がいてもいいし、自分の人生を考え直したり、何かを勉強しなおしたりするような時間があってもいいはずだ。

社会の利益を優先すれば、個人の生活もよくなるのか

それができないのは、職がなくなったときに充てる社会保障が薄いのと、それゆえに多くの人が働くこと・お金を稼ぐことに価値を置きすぎているからだろう。

仕事をしないとすぐに生活できなくなるようなシステムだから、働くことが脅迫観念のように覆いかぶさってくる。

個人が幸せになっていってその大きなまとまりである社会が良くなるという発想ではなく、大きなまとまりの社会に利益があれば個人も幸せになるという発想なのかもしれない。

そしてなぜか「みんな働かないといけない」という思い込みを大多数が共有していて、しかもそれが嫌なのにやっているから、道を外れた働かない人には風あたりがつよい。

なんでこういう社会の統治者側の発想になるのか謎だ。

現状の日本では、人々から税金を集めて、個人の幸せというよりも政治家やそれを取り巻く大企業や官僚に利益がいくだけではないだろうか。

大企業は政治家に法人税を下げるように手をつくし、タックスヘイブンをつかったりして、上手に税を回避する手を知っている。

労働者の賃金は大して増えず、大企業の内部留保(いわゆる貯金)がどんどん溜まる。

結果、めちゃくちゃな金持ちと、低賃金の人たちの差がどんどんひらく。

食料の値段は上がるし、教育費用は高くなっているし、生活コストは上がる一方。

こんなの政治が機能していない証拠だろう。

社会の利益なんか優先しても、政治が機能していない社会では、多くの人には利益はほぼないように見える。

身を粉にして働いても誰のための人生なのか

そんな現状でも、みんな身を捨てて働かなきゃいけないと思う人が多いらしい。

労働者が辛いのはわかる。

日本で「普通に働く」人生を送るのはめちゃくちゃ大変だ。

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それってなんのための人生なのだろう?

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