「日曜日の夜の憂鬱」月曜日に仕事に行きたくない友人の悩み

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この間、会社に月曜日から金曜日まで週5日働いている友人に会った。

そのときは日曜日の夜で、「明日仕事にやだなぁ~、会社にいきたくない~」と憂鬱そうに言っていた。

俺も昔、平日に週5日働いていたことがあったので、その気分はわかる。

土曜日は次の日が休みなのでまだ余裕があるのだが、日曜にもなると、「また5日も連続で会社に自分の時間を拘束される」状態が頭の中に浮かんできて気分が落ちた。

日曜の朝からそんな暗鬱な気分になっている人もいるだろう。

その友人は俺に向かって、「お前はいいよなぁ~」というが、俺はその分お金をもらっていないし、その友人ほどお金を使わない。

もちろん、その友人みたいにまとまった貯金もない。

そんなに嫌なら貯金もあるんだし、会社なんて辞めてしまって、休みの多い生活に変えればいいじゃないか、というシンプルな答えを彼に言おうと思えば言えるのだけれど、彼は会社を辞めて生きていこうとするタイプの人間ではないから、愚痴を吐きたいだけなんだろうと思って、話をさえぎらずに聞くことに徹した。

日曜日の夜に、なぜそんな気分になるのだろうか。

俺に考えられる理由はすぐに思いついたものでも2つある。

・週に5日も連続で働いているから

・自分の性格や趣味嗜好と関係のない、自分に合わない仕事をしているから

今日はこのあたりについて書いていく。

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日曜日の夜に「仕事に行きたくない」と憂鬱になる理由

週5日も同じことをしていたら嫌になるのも自然では?

どんなに好きな異性ができて、付き合うことになったとしても、週5日ずっと一緒にいたら、1ヶ月もしないうちに1人で居る時間がほしくなってはこないだろうか。

夫婦でさえ長年連れ添えば、さすがに飽きるのか、一緒にいたくなくなるケースも多いみたいだ。

最近、不倫の話を良く聞くが、これもパートナーに飽きてしまったことを象徴する出来事だろう。

恋愛でもそうなのだから、仕事だって同じである。

俺みたいな飽きやすい性格のヤツだと、週に5日も連続で働くというのは、苦痛で仕方がない。

何か作業をしていて、1時間もすれば、違うことをしたくなるくらい飽きやすい。

違うことを組み合わせて休みを入れれば、4時間くらいは集中して効率よくできるかもしれないけれど、それ以上になれば俺の場合はだらけてくる。

週5日働くということ自体が、俺の中の自然な習性に反しているのに人生を通して気づいてしまったから、週5日働くのをやめたのである。

お金がなさすぎれば精神的に余裕がなくなるが、時間がないのも精神的に貧しい状態になるのではないかと思う。

週5以上働けば、1人暮らしをしている場合、溜めていた洗濯や掃除などを休みの日にすることが多く、休日のうちの1日はあっというまに過ぎ去る。

次の日になってしまえば、「もう明日から仕事かぁ~」という陰鬱な気分がまとわりついて、気分的に余裕がない。

俺の場合、週休3~4日たまに週休5日くらいの生活だと、仕事に行ってもまた休日がすぐにやってくるので、仕事に自分を拘束されているというイメージが頭に浮かんでくることはなくなった。

そうなると、時間に追われている感じがないのでリラックスもしやすく体や精神も回復しやすいかもしれない。

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こういった経験をしてみて、俺には今の生活のほうが、お金は得づらいけれども、いろんな意味でバランスのいい生活ができることに気づいた。

なので、もう週5日働く生活には万が一相当なお金が必要になることがない限り戻るつもりはない。

月曜日に「仕事に行きたくない」と思うのは、そもそも仕事内容が自分の性格・趣味嗜好とあっていないから

自分の性格、趣味嗜好に合わないことをやれば、仕事に行きたくなくなるのも当然だ。

そもそも、最初のスタートの時点で間違えてしまっている。

つまり、仕事選びの時点で設定を間違えていたら、どんなにその道を行こうとも理想だった地点とは離れていくだけになる。

俺の友人の場合は、給料と福利厚生を会社選びの基準にして、自分の性格や趣味嗜好とは全く関係のないことを仕事を選んだため、まさにこれにあてはまる。

彼の親は二人共に公務員で、その価値観を小さい頃から刷り込まれているからか、仕事選びでも自分のやりたいことに蓋をしてしまった。

それもまた1つの人生の形ではあるが、自分が選んだことに真に納得できているかどうかが、人生の満足度を左右するのも事実だろう。

また、その人の性格として1人でやることを好むのに、チームでこなす仕事を選んでいる人や、その反対の場合も同じである。

自分に合わないことをやれば、道理に反しているのだから「月曜日に仕事に行きたくない」と拒否反応がでるのは至極自然なことだ。

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会社に行きたくないのは、単に人間関係が合わないからかも

日曜日の夜に「会社に行きたくない」と憂鬱になるのは、人間関係がうまくいっていないからという場合もある。

これは、職業選択自体は間違っていないが、さらに細かい分類の会社選びで間違えてしまったケースだ。

同じ職業でも会社によって、社風も違うし集まってくる人間も違う。

ここを間違えた人は単に転職すればいいだけなので、その準備を始めるのが得策だ。

面倒くさいかも、しれないが嫌だと思う気持ちを自分の中にためていくと、ストレスで身体か心が壊れる可能性がでてくるので考えたほうがいいだろう。

「月曜日から週5日、毎日働く」のは絶対ではない

「週に2、3回しか働かないのは少なすぎる、お前みたいなのがいるから……」と思う人もいるかもしれないが、そもそも月曜日から週5日以上働くというのは誰が決めたのか

就職して、週5日で働くのがほぼすべての会社で決められているから、それにしたがっているだけではないか。

人生の大きな目的の1つは、自分の幸せを追求することだと俺は思っていて、そのためには自分に合った生き方をすることが必要になる。

俺は週5日8時間以上働くと、忙しくて毎日が楽しくなくなるのがわかったのでやめた。

世間で言う「普通」の生活をドロップアウトした理由の1つはそれである。

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結果、貧乏だけれど、週5働いていたときよりは、精神的に余裕があるし、自分の好きなこともできるし、幸福感は高いと実感している。

できた時間で、より自分の好きなことでお金を得る方法を模索している。

こういう時間は、誰かに働かされているわけではなく、自発的にやっていることだからか嫌だとか思わないし無駄に疲れることもない。

週5日働くのが嫌なのに、それに無条件に従っているのは、自分の感じ方や考え方を放棄しているようなものだ。

そのままいけば、誰かが作った価値観に全身を乗っ取られて、自分の考え方の軸を失い、他人の考えに左右される人生をこの先送らねばならなくなる恐れさえある。

それが楽な人もいれば、苦痛な人もいるのだろう。

俺の場合は、言うまでもなく苦痛で仕方ない。

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週5勤務を基準にした「幸せ」も実は思い込みなのかもしれない

幸せというのは、主観的なことなのだと、最近より感じる。

今までの俺の人生の中で、少ない経験と知恵を絞っていろいろ考えてみた結果、年収1000万以上とか、結婚、マイホームを買うとか、誰かが決めた「幸せのあり方」よりも、自分のものごとの感じ方に基づいて、自分に合った生活を送らないと幸福感は高まらないというのが今のところの暫定的な答えだ。

年収がいくらでどれくらい休みがある生活を送れば幸せなのかは人によって違うし、結婚だって、その人が1人でいるのが好きな人なら幸福にはなれない可能性がある。

マイホームだって、引越が好きでいろいろなところに住んでみたい人には必要ないのかもしれないし、現在の情勢や日本の状態を勘ぐっている人なら日本にずっと住むという選択をしたくない人もいるだろう。

今の時代、多くの人が正社員になりたがっているかもしれないが、肩書きだけ正社員だが給料も福利厚生もたいしたことなく、特にバイトと変わらないところもあるし、会社に時間を拘束されたくないと心の奥で思っている人は会社で過ごす時間には苦痛を伴う。

正社員なら常に幸福とも限らないのである。

昔、人間はどうやってものごとを認識するのだろうということが気になっていたときに、ドイツ近代の哲学者のカントの『純粋理性批判』という小難しい本を解説書と共に無理して読んだことがあった。

(今は新訳がでていて、少しは読みやすそうだ)

難しすぎて何分の1かしか理解できていないのだが、その中でカントは「人間には世界の本当の真理を知ることはできない」という趣旨のことを言っていた。

解説書として読んだ『カント『純粋理性批判』入門』の言葉のほうがわかりやすいのでそれを使うなら、「人間は常に色眼鏡をかけて世界を見ている」ということ。

このメガネというのは、その人間が生まれた土地の文化背景だったり、育った環境によって作られた価値観・ものの見方だったりする。

それによって、1つのものを見るにも、人によって見え方が違う。

人間が何かを認識するときには常にこういう状態にあるので、眼鏡を取った状態でものをみること、つまり真理には到達できないというわけである。

文化背景のことで言えば、虹の色の話が有名だ。

虹は生まれた土地の言語によって、色の数が違う。

虹を2色や3色だと認識するアフリカの民族もいるし、ヨーロッパのいくつかの地域の人のように5色とか、日本列島に住む人のように7色と認識している地域もある。

どれも、その人たちにとっては事実として信じていることだが、絶対の真実ではないのである。

育った環境は、親に刷り込まれた価値観や、人生とは、人間とは、お金とはどういうものかなどの考え方にも影響がでて、それによってものの捉え方も変わる。

先の友人のように、現在の彼の時間のほとんどを注いでいる仕事に対する考え方にしても同じだ。

彼の場合、気づいているのかはわからないが、彼も自分の眼鏡をかけているので、週5日働き、その分のお金をもらって、そのお金を使って「豊か」とされる生活を目指す世界しか見えていないのである。

週5日勤務が合わないと気づいて、週休5日を実践する人もいるし、現代の社会システムの矛盾に我慢できずお金を使わずに生きることを選ぶ人もいる。

現在かけている色眼鏡で世界を見ていて、その世界が不幸にしか見えないなら、同じ眼鏡をかけたまま世界を自分の行動で変えるか、その眼鏡をとって違う眼鏡をかけるか、そのまま我慢するしかないのだ。

我慢したくないのなら、政治を動かしたりして自分の外側の世界を変えるのはかなりの労力が必要だし、1人ではできないことなので、いろんな眼鏡を試しがけして自分にあった眼鏡を見つけ、そこから見える人生を歩んでいくほうが、多くの人には近道になるかもしれない。

もちろん、今かけている眼鏡を外すことも、自分にあった眼鏡を探すことも、簡単なことではないけれども。

人生いろいろ。みんな同じく働くだけでは幸せになれないんじゃ...?
日本は均質的な社会だといわれる。謎の平等観を皆が共有している。こどももみんな同じように育てようとする。7歳くらいで小学校に入学し、12歳で卒業。13歳で中学校へ、そして16歳くらいで高校へ。こうやって「~歳になったら~になる」とみんなで同じ...
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