仕事に行きたくない。このままつらい状態が続くとしたら?

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仕事いきたくない。

仕事がつまらない。

好きなことをやっていないからやる気ない。

仕事をしていても人生に何の意味も感じない。

働きたくない。

もう辞めたい。

あるいは学生ならば、

学校行きたくない。

興味のないことをやらされてるだけで、つまらない。

という感じにでもなるのだろうか。

こんなことが頭の中でグルグルと回っているとき、嫌なことばかりが連想されて、それがまた嫌なイメージを呼び、負のループに陥ってしまう。

「会社いきたくない」、「仕事がつまらない」など嫌なことで頭がいっぱいだから、気分も下がって、やる気がでてこないし、仕事でも本来の力さえもでてこなくなる。

そうなってくると、仕事での評価も下がって、自分はこんなものなのか、と自信もなくなってくる。

興味のない仕事をしているのだから、仕事場にくる人も自分にとっては興味のない人が多くなる傾向がある。

その人たちと1日の1/3くらいの時間を過ごすわけだから、人間関係もつまらなくなる。

ますます「負のループ」が続く。

プライベートでも会社や学校であった嫌なことが頭に浮かぶようになる。

いつの間にか表情にも、こういう負の感情がでてくる。

こうなってくると自分の本来もっていた魅力さえも色あせてくる。

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なぜそこまで、仕事にいきたくないのを我慢するのか

やりたくないことを我慢してやる、というのは日本の学校教育で延々と訓練されてきたことだ。

会社をやめたいのにやめられない原因は学校教育にあった?

義務教育課程での学校での勉強が楽しいと思う人もいるのかもしれないが、実際にはそういう声をあまり聞いたことがない。

教えることがあの年代の興味関心とはかけ離れているし、教師の教え方も、こうやれという方針がガチガチに決まっているから、おもしろくない。

だけれど、やらなければ、将来苦労する、という不安を暗に植えつけられる。

仕方なく、テストで点をとるためだけの勉強を続けて、嫌なことを我慢することに慣れていく。

だから、後に仕事についてそれがつまらなくても、つまらないという状態には慣らされてきたので、みんなそうやって仕事をしているんだと、本当は仕事を辞めたい自分を思いとどまらせる。

自分がこころの底で思っていることより、「普通なら・・・・・・」とか「みんな我慢してる」という世間の声に耳を奪われる。

さらに仕事をやめれば、お金がなくなり、暗い未来が待っているという植えつけられた不安が、自分の頭から離れない。

そうなると、仕事はなかなかやめられない。

未来が見通せないのは怖いからだ。

未来なんて、もともと不確定要素がいっぱいで本当は誰にもわからないことなんだけれども。

いやいや働き続けるか、やりたいことをやるか

このまま、やりたくもない仕事、つまらない仕事をしたくない。

でも、好きなこと、やりたかったことでは、お金が稼ぐのは難しいのではないか。

この不安は、好きでもない仕事でいやいや働いている人の頭に常に蔓延っている。

お金がなくては、生活できない。

分業化が進んで、お金をすべてのモノの交換に使うようになった現代社会の「普通」の考えならば、確かにそうも言えるだろう。

しかし、この貨幣経済に疑問を持って、まったく違う交換によって生活したいという、先進的な考えをもち行動している人もこの世には存在する。

たとえば、1年間、まったくお金を使わないで生きてしまった人。

ぼくはお金を使わずに生きることにした

多くの人間は、分業によって生きるために必要なもののほとんどをお金を払って「外注」することが普通になり、お金に依存する存在になってしまっている。

生きるのにどうしても必要なもの、たとえば食べ物に関して言っても、もともとの野菜がどうやって成長するのか、肉というのはどういう過程を経て店に並ぶのかさえわからないくらい、人間との距離も遠くなってしまった。

いのちの食べかた

人間を含めた生命を動かしていた循環システムさえ、ただの消費物になってしまっている。

こういう消費社会に、かなり昔から疑問を持って、実際に行動している人たちもいる。

パーマカルチャー―農的暮らしの永久デザイン

本当はこれくらい人生というのは自由なはずなのだけれど、「普通」に教育を受けて、世間一般の考え方を生育過程で刷り込まれた多くの人には、お金がなくなるという不安、お金の呪縛からは簡単には逃げられないし、それを実行するには、かなり勇気のいることになる。

(部分的に、自分の生活に取り入れることはそんなに難しいことではないが)

仕事がつまらないのに我慢することが絶対に正しいとは限らない

それなら、どうするか。

このまま、「普通」の考えを維持して、やりたくもない仕事をお金のためだけに続けるか。

仕事をきっぱり辞めて、自分のやりたかったことをやり始めるか。

前者の場合、このまま仕事を続けていけば、その会社が続く限りは、お金はもらえるので生活には困らないだろう。

人生になにか突発的な事件が起こらない限り。

いい大学に入って、いい会社に入って、結婚して、マイホームを持って……、というのが自分の「幸せ」になっている人は、嫌な仕事でも我慢に慣れているからやっていけるのかもしれない。

そういう人は、今、仕事が辛くとも、結婚して家族をもって、そしてマイホームが持てれば「幸せ」になれる可能性が残されている。

だが、このいい会社に入って、結婚して、マイホームを持って……、というのが、自分の幸せ・幸福観とズレている場合、このまま嫌な仕事を続けていても幸せは遠のくばかりだ。

「負のループ」が延々と続いていくかもしれない。

それならば、思い切ってつまらない仕事はやめて、人生の進むべき方向を修正するのも一つの手だ。

3年は仕事を続けろ、みたいなフレーズはよく言われるが、それは一般に言われているだけで、自分のケースにも確実に当てはまるとは限らない。

なんとなく我慢を続けている人は、自分の経験の中から、我慢した場合と我慢しなかったほうが良かった場合を思い出し、今回の我慢は続けるべきなのか、考えてみるのもいいかもしれない。

日本では昔、儒学のように孔子の思想が広くいきわたった時代があって、それが未だに文化的背景に残り、我慢して努力するとか、上司には従順に、国には忠実にとか、そういう形で日本人の考え方に無意識的に影響している。

実際、学校でも孔子の思想は教え込まれるし、小説やテレビドラマでもそういう、我慢すればいつかよくなる的な展開になるものも少なくない。

なんとなくの我慢が常にうまくいけばいいが、自分の人生は常に一般化できるとも限らないので、自分の人生の場面場面からよく考えることも重要だ。

ほとんど興味のない仕事を3年も我慢してやるより、早く方向修正して興味あることを仕事にしたほうが幸せに近づける人も多いのではないか。

興味のあることをやれば、負のループから抜け出し、好循環にのることができる。

好きなことは、覚えるのも早いし、上達させる工夫も自然とするようになるし、その仕事に集まる人たちも似たような人がくる傾向にあるので、話も合うことが多い。

新しい仕事をするのに給料が低いことを問題にする人が多いが、お金の問題が人生すべてのことを凌駕するものではない。

お金があっても、毎日嫌なことばかりしていたら、負のループにいる状態に陥り、幸せは視界にさえ入ってこないだろう。

負のループから抜け出せば、収入が減っても、幸せに手が届くかもしれない。

自分の幸福観の中でどのくらいお金が占めていて、時間や趣味・好きなことなどの他の要素がどのくらいを占めているのか考えてみて、それを今の生活の実態と照らし合わせてみる。

自分の幸福観と今の生活の実態がかけ離れているなら、それは幸せになれない道を延々と歩いていることになる。

まだ20代とか30代なら、もともと行きたかった道との距離もそこまで離れていないかもしれない。

修正するのも難しくないことが多いだろう。

定年退職してから、と考えている人は、今やってる仕事が好きなことならありだろう。

その歳になって、今思っていることを実行できるほどのやる気と動機の強さが残っていればの話だが。

ともあれ、そう気づいてしまった人は、動き始めることが重要だ。

頭の中で考えるのも大事だが、頭の中の想像を、現実世界の行動に反映することで、初めて自分と世界が呼応して現実が変化していく起因になる。

小さく人生の道を軌道修正するだけでも、そのまま歩いていけば、元の道を行っていたのとは方向性に大きな距離ができているだろう。

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