現状、生活費は稼げても精神的に辛いのかも。生活を変えたい。

記事内に広告が含まれています。
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

最近、この3年間くらいの生活の事を考えている。

関西に引っ越して、週休3~4日生活から週休5日生活をしてきた。

まあ生きてこれた。

嫌な仕事は減らして、まあまあお金になる仕事でフリーランスになった。

たぶん、仕事を続ければそれなりには暮らしていけるだろう。

だけどそれで俺が本心から納得できるかと言えばそうではない。

そんなに退屈な仕事でもないし、生きていく分のお金は入ってくる。

でも、自分の中に何か違和感がある。

無理している感がどうしても残ってしまっているようだ。

この仕事を一生したいと思えるかといえば違うし。

ついこの間、ふと仕事をやる気が失せたのもそういう無理を重ねたからなのかもしれない。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

仕事に対する違和感でどこか精神的に辛い。原因は何なのか

この違和感の原因は何なんだろうか。

ある種の仕事をすると多くの人と関わることが多くなる。

そうすると、どうしても外面を作る機会が増える。

俺も笑顔を無理につくることもある。

無駄にヘコヘコしている感があるときもある。

それが俺に無理をさせているんじゃないかと思えてきた。

毎回やるたびに俺は何をやっているんだろうと思えてくる。

こういうことが社会的に「いい感じ」と見られるからやっているのかもしれないけど、なんかこういう態度がどこか俺自身を蝕んでいるような感じがするのだ。

精神的に辛いのが積み重なっていく感じ。

「しょうがないじゃん、社会との妥協点だよ」という納得できそうな言葉を誰かがいいそうだが、別に俺は社会で「人気者」になりたいわけでも「誰が見てもいい人」になりたいわけではない。

むしろ、心の奥底ではそんなのにはなりたくはないと思っている。

だってそんなの嘘でしかないから。

社会の「人気者」といえば芸能人なんかが思い浮かぶが、表面上をメッキで塗りたぐったような存在だ。

商品にするために、「こういう人である」という1つのイメージを作るために、そのイメージから外れるものはとことん消そうとする。

そこに無理がでて精神が悲鳴をあげるから、ある有名グループだった1人ように突然公園で裸になるような事件を起こしたりするんだろう。

だいたい人間ていうものはそんな綺麗なものではない。

スポットが当たればどこかに影ができる。

明るい部分とダークな部分両方あるし、その間の領域も広大にある。

何の穢れもない潔白な人間なんて存在しないと俺は現時点では思う。

会ったことがない。

芸能人でなくとも、本心では全然違うこと考えてるのに、「おかしい人」や「変な人」だと思われたくないからと言って、自分に嘘の上塗りを加えていくことは、普段の生活でもけっこうあること。

そうすることで結局嘘のほうにのまれてしまうんじゃないかと思えてきた。

だいたいの「大人」って言われている人はそういう人で、それが「大人」が「大人」と言われている所以なんだろうが、俺にとってはそれが人生における大事なことには思えない。

確かに「無害感」を出した方がお金も入ってくるし生きやすくはなるだろうけれど、精神の大事な部分をやられる気がする。

もちろんそういうことを取り繕うのが上手い人もいるのだろう。

だが俺はそういう類の人間ではないし、最終的にそういう人間を目指していない。

精神なんて言ってたら、この世の中生きていけないという人も多いだろうが、現代の日本は人間の精神を全然省みない社会になってしまっている感がある。

精神なんかより金。

金のためだったらなんでも我慢するっていう。

それが俺が仕事に違和感を感じる、あるいはこの社会に居づらさを感じる、大きな要因になっているのかもしれない。

仕事への違和感が出てるのは生活を変えたいからかも

前の記事でも書いてるけど、こういったことを考えてみると自分の生活を変える時がきているのかと思う。

関東から関西に引越して、仕事探しから始めてなんとか生きていけるようにはなった。

でも精神を大事にしてこれたかと言えば、そうでもなかっただろう。

我慢をした分、精神が磨かれるかといえば、常にそうではないと俺は思う。

お金のためだけにやっていることが、何か自分の奥底にあるものを傷つけている感じがする。

それによって消耗している。

仕事で体裁作ってばっかだったし、どこかで違うという気持ちはあった。

軌道修正できれば別にブレてもいいんだけど、軌道をずらされたままなら話が違う。

年齢を重ねて生きてきたせいか、そろそろ自分で納得できる生き方をしたいと思うようになっている。

人生に必要なものと、いらないものが年齢を重ねるごとに自覚できるようになってきているのか、それと今の生活との比較をするとギャップを感じることも少なくない。

そういう違和感を感じているということは、もうそろそろ変化しろという合図なのか。

たとえば生活のことを考える。

あんまり人がいないところで暮らす方が俺には合っているのかもしれない。

いかにお金を稼ぐかという問題が付きまとうが、どこに行ったってそれはなくならないし。

都市すぎるとこにいても、俺のやりたい生活をやりづらい。

何よりちょっと人が多すぎる。

もうすこし人の少ない地方都市か、または家がまばらにしかない場所を探すか。

前から40代になったらそういうことをしようと思ってはいたが……

でも日本を出たいっていうのもあるしな……

住む場所を一新するときか。

最近、そういうことを考えている。

コピー防止のため右クリックは禁止しています
タイトルとURLをコピーしました