しばらく何も書けていなかったが何をしていたか?
全然やる気が出ない数か月を送っていた。
他のこともほとんど進まず。
毎日、起きて朝食を食べて、ネットをしたり本を読んだりぼーっとしていた。
特にネットの時間が長すぎる。
前やめたほうがいいのは前からわかっているわけだけど。
夜にスマホでネットをみてると、朝起きる時間も自然と遅めになる。
しかも見てる情報はどうでもいいこと。
いいことない。
でもこれがなんかのストレス解消になっているのかやめられない。
依存なんだよな。
気軽にちょっと楽しいことないかなと思ってネットやってしまうという。
やる気がない原因は、焦燥感か
こういう「やる気がない」のは初めての体験ではもちろんなくて、定期的に「やる気がない期間」がやってきていた。
今年は「労働」をしていないので、強制でやらされることがあまりないため、やる気がないのを無理して何かしなくてもいい。
でも心のどっかで、何かしないともったいないみたいな思いはある。
これが自分を焦らせるわけだけど、その焦りが自分を憂鬱にさせる。
与えられた時間の中で何かをしないと、もったいないと。
何でそういうことを思ってしまうかと言えば、1つはどこかで他人との比較をしていることが推測できる。
他人は朝から活動して、自分との差が出ることへの焦り。
人と一緒にいて競争させられているとこの焦りはどこかにあるのかもしれない。
学校の教室や、オフィスのフロアにいたことがある人は、それを思い浮かべるとより焦りのイメージがわくかも。
でも、俺は今はけっこう孤独な生活を送っているし、他人との関わりもコロナの影響でより減ったので、この他人との比較することに関しては仕事をしていたときよりずっと減っているはずだ。
自分の理想の姿と今の自分の姿との乖離
もう1つ原因として推測できるのは、理想の自分の姿との比較。
今年はこれとこれをやってみたいな理想があったが、いつもどおり予定通りにはいかない。
なぜか予定通りであることが「正常」な状態だという勝手な思い込みによって、それに追いついていない現状に焦りを感じている。
予定で描いた理想は、あくまで架空であって、それが「正常」とか「当たり前」の姿ではない。
現在しか実際にはないのだから。
なのに架空の姿を思い描いて、それによって勝手に苦しめられている。
実際、俺はこれによって悩んでいることが多いのかもしれない。
自分で自分を苦しめている自分
結局、自分で自分を苦しめているわけだ。
何とも人間らしい。
考えすぎなのだろうか。
動物は人間みたいな言葉はもってはいないから、そんなに考え込まないと思われていたりする。
(本当のところはどうだかわからないが)
食べたいとか、トイレ行きたいとかそういうことだけに反応してればいいのかな。
でも頭に言葉がどんどん湧いてくるんだよな。
これが行動の指針になる一方、自分自身を苦しめるわけで。
考えすぎることが、あまりに人間的と言えるのかもしれない。
無駄に考えないで生きていければいいけど、人間の作ったこの社会が、それを許さないんだよな。
何かと生活の不安を考えさせる……
生きてるだけで、税金はかかるし。
ほぼすべての土地はすでに誰かに所有されていて、お金を払わないと生活できなくなっているし。
猫は人の土地を横切ったりうろついても何も言われないけど、人間が通ったら文句言われたり。
あぁ、また考えがツタみたいにどんどん延びていく……
こういうダラダラした思考にとらわれたネガティブな毎日を送るのも人生というわけで今回はこのあたりにしておきます。
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