先日、遠出をした。
初めての土地だった。
用事をすませると、日が沈んでからだいぶ経っていて深夜と呼べる時間帯にも近くなっていた。
夕飯を食べていなかったので、俺は少し腹が減っていた。
すぐ目の前には焼肉屋があったが、できるだけ働きたくない俺は週休3~4日は休んでいるので、焼肉を気軽に食べれるほど収入もない。
他をあたるしかないので、ネットで近くの店を探す。
食べログでいくつか候補はでてくるが、いまいち星3つくらいのしかでてこない。
行った場所が、田園風景をちょくちょく見かけるような地方の小さな町だったから仕方ないのだろう。
ファミリーレストランはあったが、ここまで来てどこでもいけるチェーン店を選ぶのもつまらない。
一番近いところで手をうとうか。
そして星3つのラーメン屋に足を運ぶことにした。
幹線道路沿いにたつ個人経営店の門をくぐると……
店のドアを入ると、コの字型のカウンターになっていて、客が6人いた。
ワイシャツを着たサラリーマン風の男の2人組と、上下ジャージで単発を茶色に染めた男の2人組、それにヨレヨレのポロシャツにくすんだ色のスラックスを履いた60くらいのおじさんの2人組だった。
カウンター内の奥のほうに座っていた60歳くらいの店員のおばさんは、俺が入っていっても黙ったままスマホを見ている。
奥の席が空いていたので歩いていくと、おばさんはやっと気づいて笑顔で「いらっしゃ~い」と威勢のいい大きめの声で言った。
するとさらに奥から店主らしい同じく60くらいの、ベースボールキャップのつばを後ろにして被ったおじさんが出てきて「いらっしゃーい」と俺を見て声をかけてくる。
このおじさん、この歳にしてはやたらにがたいが良い。
Tシャツから筋肉が隆々としているのがわかるくらいだ。
元格闘家といわれても不思議じゃないくらい。
席につき、この店定番らしくメニューの1番最初に書いてあるラーメンを頼む。
おばさんは、伝票を書くと、また先のカウンター奥にある場所に行き、スマホを見始める。
おじさんはラーメンをゆで始めた。
店内は、ラーメンをゆでる機械からでる蒸気によって、すこし空気が湿っている。
壁の色はもともと白だったのだろうが、部分的にくすんだ茶色になっていて、店ができてからすでに数十年かは経過してるんじゃないかと思わせる様相だった。
お世辞にもきれいとはいえない。
「ゴルバチョフでたよ!」
おばさんが声を上げた。
なにかと思ってそちらに目をやれば、おばさんはスマホに見入っている。
「ゴルバチョフでた!ゴルバチョフ!」
ゴルバチョフ?ゴルバチョフといえば、1990年代のソ連の大統領じゃなかったか。
なんで、そんな人があのおばさんのスマホに?
「アメもでた!1150もいった!」
ゲームでもやっているのか。
しかしソ連がなくなってから数十年も経つ現在、ゴルバチョフが気軽に出てくるような渋いゲームがあるものか。
おじさんはラーメンの用意をしながら、おばさんの呼びかけに、「そうか~」とか「でたんか~」とか受け流すような受け答えをしている。
出てきたラーメンには、ちょっと怪しい味が?
そんなやりとりを見ているうちにラーメンができたらしく、おばさんが運んできてくれた。
みためは、もやし、チャーシュー、ねぎ、がのった普通ラーメンだ。
すこし油が浮いている、黄土色としょうゆの色が混じったような色のスープ。
スープをすすれば、昔ながらのしょうゆ味の中華そばという感じで、クセのない味だ。
少しずつ麺を口に運びながら、周りを見渡す。
店の壁に貼られたポスターは、すでに単色刷りかと思うほどに色あせていて、四方の角のところはビリッと破け落ちているところもあった。
そのポスターは、1990年代初頭に人気のあった音楽グループの当時のもので、今では初老を迎えているボーカルの男性の顔も若々しい。
麺は少し太めの麺だった。
薄く切られたチャーシューを口にすると何か変な味がした。
少し酸味が強すぎる。
こんなにすっぱいチャーシューは食べたことがない。
いつもは残さず食べる俺だが、夏だし、食べたらいけない気がしたのでその一口だけにして、残りの麺やもやしを食べることにした。
新しい客が入ってくる。
ディナータイムはとっくにすぎているような時間だったが、俺が入ってから10分もしないうちに客がきた。
今度はベースボールキャップを被った20中盤くらいの中肉中背の角刈りの男だ。
単色のクルーネックのTシャツに短パンを履いていた。
「あぁ、そうか。この店は90年代で時代が止まっているのか」と一人で合点した。
店の雰囲気といい、店の客の服装といい、これを写真に写して誰かに見せて90年代はこんなのだったんだよと言っても、見た人は納得するに違いない。
そういえば、さっきおばさんが口にしたゴルバチョフも90年代の大統領だ。
ゲームをやっていて偶然だったのかもしれないが、この店にマッチしすぎていた。
90年代初頭は世界の動きとしては激動の時代だったが、この店に感じたようなユルい空気が流れていた気がする。
あの時代までは、この店のおじさんとおばさんが切盛りしているような個人店がいくつもあって、そういう店は接客もマニュアル化されていないから個性があって人情味があった。
今はどこに行っても同じようなチェーン店があって、味はどこでも安定しているから失敗は少ない。
だが、ほとんど同じような接客で、店の個性を楽しめる場面はほとんどない。
チェーン店で働いている人たちは、基本的に雇われた人たちだ。
だからそこまで自分の店という思いもないし、自分らしさを出す自由もないだろう。
こうしたらこうする、というのがマニュアルに綿密に書いてある。
そうすれば経営者が店にいなくても、マニュアルどおりなら店は回るし、効率的だ。
お金を得ることを主眼としたビジネスの目線では的を得ているのだろう。
一方、俺が訪れたこの店は、自分たちで経営している店で、自分たちの思い通りのやり方で切盛りできるから店の空気感にもそれが出てくる。
俺はそんな個人店にしかない空気感を感じることが楽しい。
「普通」の人は求めないのかもしれないけれど。
ちょっとすっぱいチャーシュー以外は食べきり、少し腹を休ませてから勘定をすませた。
おばさんは、「ありがと~」と威勢よく言うのに続いて、おじさんも「ありがとぉ~ございましたぁ~」と続く。
席を立つと「またきてねぇ~」とおばさんが笑顔で言ってくれた。
チェーン店の「またのお越しをお待ちしております」には何も感じないが、このおばさんの「またきてねぇ~」にはこちらも「はい」と笑顔で返したくなる。
すれ違いでまた客が入ってきた。
意外と人気のある店なのかもしれない。
外に出て、お店を振り返ると、道路沿いに立っていた店の看板が目に入った。
中のライトが消えていて、深夜帯が近い今の時間になれば、暗くて店の名前が確認できない。
だが電球のようなライトがその周りを囲うように取り付けられていて、けばけばしい光を放っている。
これも効率的な広告としてはダメなんだろうけれど、この看板に何かを感じ取った数少ない人たちを呼び寄せているかもしれない。
俺は、店内が綺麗でこざっぱりとした店よりも、すすけていたって味のあるお店が好きだ。
味は普通でも、店の雰囲気を楽しめる店なら入りたい。
まあ今回のチャーシューは残念だったけれども。
(結果的には、おなかを壊すこともなく大丈夫でした)
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