やはり病気が原因で入院へ・運が悪い

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結局、入院することになった。

ここ最近、体調がおかしいと思っていたので、何回か小さい病院には行っていたのだけれど、なかなか診断名がでず。

自覚がなくても疲労は溜まる。体調不良から回復するには?
なんだかここのところずっと、調子が悪い。 一度、高熱が出た後、なかなか熱がひかない。 バイオリズムっていう言葉が示すように、人には、調子の波みたいなのがあるんだろう。 木々の葉っぱが紅葉する頃、11月くらいになると、気分が下がってくる。 気...

医師の話を聞いている限り、そんなに安心できる感じではなさそうだった。

その後も少しだるかったが、なんとか普通に生活をしていた。

ちゃんと寝ていたし、食事も三食とっていたのに何で体調が悪くなったんだろう。

こういうときは街で行き交う楽しそうな人たちを見て、「なんで俺だけが……」と思ってしまうことがある。

逆に考えてみれば、俺が病気もなく普段街を歩いているときにも、同じ気持ちの人たちとすれ違っているのだろう。

人の内面は見えないから、普段はそういうことを想像しづらいけれど、自分が同じ状況になって初めて本当に理解できることもある。

最初の診断から何度か受診して、4週間くらいで総合病院を紹介され、そこを受診したら入院決定。

はやく最初の医者が紹介状を書いてくれれば、入院も早かったのに。

最低でもこれから1ヶ月くらいは入院になりそう。

年末にかかるこのタイミングで入院とは不幸な出来事が続くときなのか。

正月を病院で過ごすことになるとは。

年末なのに突然入院。まさかの毎日休みに。病室で暇つぶしに困ったら
入院してから、すでに1週間くらいが過ぎようとしている。 毎日、薬をのんで、看護師さんに体温とか血圧を測ってもらったり、たまに担当医が来て現在の経過を教えてくれる。 症状としては酷くはないし身体も回復しているのだけれど、まだ何週間かは入院する...

仕事もできないし、お金も入ってこないし、減る一方。

久しぶりに友人と会う約束をしていたのに、それもダメになった。

残念としかいいようがない。

しょうがないので、病室に閉じこもって、1人でノートパソコンを眺めている。

不運が続く……人生にはバイオリズムみたいに波があるのか
最近、身体の調子が悪いのが続いている。 最初に体調が崩れてから、なかなか治らない。 微妙な熱が続くし、身体もだるい。 病院に行ってきた。 まだ何が原因かははっきりしないが、そんなに簡単に治る病気ではなさそうだ。 一気に気分が下がる。 仕事も...
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人生、運が悪いのはなぜなのか

人生に運というものがあるなら、俺はすごく悪いほうではないかもしれないが、どちらかといえば悪いほうだ。

「運がいい」といわれるような人は、最初から環境に恵まれていたり、偶然のきっかけがやってきて、チャンスをつかんだりする人のことだろう。

「普通」といわれるのは、特に「運がいい」人たちのような出来事はないが、両親が揃い、とくに家族に問題もなく、大きな金銭的な問題にも関わることがなく、大人になって生きていける人たちだろう。

逆に「運が悪い」のは、どういう人たちか。

今までの俺の人生と見聞したことからいえるのは、親に恵まれなかったり、家にお金のトラブルがあったり、生まれつき病気がちだったり、そういったことがきっかけで貧困になったり、突然難病になったり、事故や事件に巻き込まれたり。

自己責任なんて言葉で片付けられる問題ではないような出来事が、降り注いでくる人生。

そんなのは「運が悪い」としか言いようがない。

毒親のせいで劣等感が強い? 親で決まる人生は不公平だが対処法は?
日本の義務教育過程のほとんどの学校では、同じことを同じようにできるように延々と訓練される。 勉強することも一緒。 制服も一緒。 靴も体操着も一緒。 「前習え!」で一斉に同じポーズ。 (これは今でもやっているのだろうか?) その過程で、人は平...

人間は、何に関しても理由がないと納得できない。

だから、昔から宗教なんかでは、「運が悪い」のは前世の行いが悪かったなどの理由をつける。

「縁」という言葉もその類だろう。

そういうトラブルが頻発するところにたまたま生まれてきてしまったと言う人もいるのかもしれない。

どちらにしても、その「運の悪さ」を受け入れるほかないとか言う結論になるのだろうか。

起こってしまったことに対して、理由付けなんてどうとでもできる。

だけれど、自分が納得できる理由があれば、それで人間は生きていける。

それくらい、不可解が耐えがたく、どうしても理由がほしいのが人間だ。

人生に絡み付いてくる「なぜ生きるのか」「生きる意味は何なのか」という問題

納得できるほどに強い理由があれば、災難にも耐えられる。

人間が生きていくにも、理由を求める人が多いから、多くの宗教や哲学が生まれたんだろう。

だけれど、今の日本には無宗教と言う人が多いらしいから、「なぜ生きていくのか」「生きる意味は何なのか」という困難な問いを自分で考えなければいけなくなっている。

哲学を勉強して手がかりにするのも1つの手だけれど、それはそれでけっこうしんどい作業だ。

旅したり、困っている人を助けたって、答えは簡単にはでてこない。

この「なぜ生きるのか」、「生きる意味は何なのか」を考えるという、すごいしんどい作業を、個人が担っている。

仕事で忙しくてそんなこと考える暇なんてないと言う人もいる。

時間とお金、どのくらい大切? 自分の幸せとは何かを考える
俺は所得だけで考えれば低所得で貧乏だが、時間に関しては少し豊かな生活を選択している。 ほぼ週休5日生活。 年間休日は270日くらいか。 前に、なぜドロップアウトしたのかについては簡単に書いた。 週5で働いて、さらに残業も多く土日まで働かせら...

考えなくても生きていけるのかもしれない。

実際そういう人たちも見てきた。

だけれど、予想がつかないのが人生だし、人生には何かのきっかけでこの問題がフッと頭に現れることもある。

「なぜ生きるのか」、「生きる意味は何なのか」を考えることは、死ぬための準備なんじゃあないかと俺個人は思っている。

死ぬまでにやる、1つの試練みたいなもの。

死を迎えるときには、どうしてもなぜ生まれてきたのか、生きているのかということを考えてしまうのではないか。

こういう形而上学的な問題は、死ぬまで考えても答えがでないだろうし、答えは常に暫定的なものでしかないのだろうけれど。

これも結局は俺の勝手な思い込みで、1人だけの勝手な宗教みたいなものなのだろうが、そういう世界観みたいなものを持ってないと生きる力がもたない。

生きるために、「なぜ生きるのか」、「生きる意味は何なのか」を考えているなんてよくわかんねぇことになっている。

運が悪いとか人生の行き詰まりを感じたり、生きる意味を考えてしまう人間の性
道を歩いていて、信号があとちょっとで変わるという場面には誰もが出くわす。 あるいは、ちょうどよく信号が変わって、スイスイ進むときもある。 おお!今日はラッキーだ なんてことをそんなときは思ったりする。 また、ちょうど良く信号が赤になって、早...
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