俺は人ごみが嫌いだ。
人がたくさんいる場所にいるとストレスでできることならすぐにでもその場を離れたくなる。
平日に週5日働いていたときなんて、大多数の人たちと同じような生活リズムで1日を過ごしていたから、人ごみを避けるのが難しく、ストレスがハンパなかった。
東京にいたときは、満員電車が本当に嫌いだったので、どうにかして避ける方法を探っていた。
今日はその時の経験を踏まえながら、満員電車のあのストレスを減らす方法を考えてみよう。
ラッシュ時の満員電車のストレスの原因は
ところで、社会心理学の分野では、パーソナルスペースという用語があるようだ。
誰かコミュニケーションをとる相手が自分に近づける距離を指すらしい。
ちょくちょく聞く用語なので、知っている人も多いかもしれない。
gooヘルスケアのページによるとパーソナルスペースには4つの距離帯というものがあるようだ。
1・密接距離(intimate distance)=0cm〜45cm
・身体に容易に触れることが出来る距離
・家族、恋人など、ごく親しい人がこの距離にいることは許されるが、
それ以外の人がこの距離に近づくと不快感を伴う2・固体距離(personal distance)
=45cm〜120cm
・二人が共に手を伸ばせば相手に届く距離
・友人同士の個人的な会話では、この程度の距離がとられる3・社会距離(social distance)=120cm〜350cm
・身体に触れることは出来ない距離
・あらたまった場や業務上上司と接するときにとられる距離4・公衆距離(public distance) :350cm以上
・講演会や公式な場での対面のときにとられる距離
この間、久しぶりに東京に行って満員電車に乗らなくてはならない状況になったんだけれど、満員電車っていうのは、この1の「密接距離」にコミュニケーションをとるわけでもない見知らぬ人が強制的に入ってくる状況だ。
肌も触れ合うというか、押し付けあう状態なので、動かなくても汗の出る夏の時期には、不快感は最高値に達しそうな勢い。
この間は夜だったので、酒の匂いも充満していた。
こんな状況なのだからストレスがかかるのも当然だ。
週5日も耐えていたのだから、毎日、疲れが溜まっていくのも無理はない。
満員電車のストレスには慣れるのか?
この間、久しぶりに乗ってみて、電車が来た瞬間に「うわぁ・・・・・・乗りたくねぇ・・・・・・」と思っていたが、目的地に行くには今回ばかりは乗るしかない。
降りた乗客によって空いたスペースに俺を含めた人がなだれこむ。
ぎゅうぎゅうにつめられて、ドア側に乗った人は、閉まるドアに身体が挟まらないように足を踏ん張って内側に向かって力を入れる。
やっとドアが閉まり、電車が動き出す。
ガタガタ動く電車の中でバランスをとるのも大変だし、あの圧迫状態は、身体的にも精神的にも人を疲弊させる。
「満員電車は最初は辛いけど都会に住んでいれば慣れて大丈夫になる」という話も友達や知人からはよく聞いた。
実際、俺が東京に住んでいたときは、朝の通勤ラッシュ時や終電に乗る機会が少なくなかったので、満員電車に乗らざるを得ない生活があたり前になっていた。
山手線、中央線、総武線、京王線、小田急線、田園都市線などの満員電車には何回も乗った。
東京ではどこかしらの線では毎日のようにあることだが、人身事故が起こったり、急病人が出れば、簡単に満員電車になる。
それでも、目的地に到達するには満員電車に乗るしかないときは仕方なしに乗っていた。
満員電車が原因でどのくらい疲れるのかは、そういう生活があたり前になっていたら比べようもないのでわからなかったのだろう。
だけれど、しばらく日本を離れて、満員電車に乗ることのない生活をした後は、満員電車に対して不快感が増した。
なんでここまで混んでいる電車に乗らなくてはいけいないのだろうか。
あんな状態はもう人が乗る電車ではないのではないだろうか。
そんなふうに思うようになっていた。
こんな混んでいる電車に乗るくらいなら、1~2本くらい乗り過ごすようになった。
そういうことを考えると、あの状況にずっとさらされ続けて、ストレスに慣れたのではなくて、神経が鈍くなって、ストレスを感じないようなフリを身体がしているだけで、身体にはストレスが蓄積しているんじゃないかなぁと思う。
怪我をしたときに、最初の瞬間は痛くても、だんだんと痛みに慣れてくるのと一緒でストレスを感じる感覚もだんだんと鈍くなる。
だけれど、それはストレスがなくなったのではなく、感覚が鈍くなっただけで、知らない間にそういうストレスが蓄積していっただけなのではないかと思うようになった。
生活スタイルを変えれば、満員電車の混雑から解放される?
東京で週5で働いていた頃は、まだ自分というものをよく理解していなかったのが原因かもしれないが、平日に朝から働くという生活だったので、多くの人の生活リズムと被り、人ごみを避けることが難しかった。
先にも書いたが、海外に長期間住み満員電車から解放されて、余分なストレスを味あわされていることを再確認した。
なので海外から帰ってきてからはできる限り満員電車は避けたかったので、働く時間をラッシュ時とずらすことにした。
これによって、東京に住んでいたときはまあまあストレスは減った。
移住することで満員電車のストレスから解放される
その後、働き方を試行錯誤して、関西に移住し、現在は土日に働くことを選び、平日に働くにしても通勤ラッシュには重ならない時間帯に1,2回働いているので、満員電車に乗ることは、ほぼなくなった。
関西は、大阪の中心部を縦に通る地下鉄の御堂筋線と、郊外から大阪に向かう複数の線で朝晩のラッシュは混むが、東京ほどではない。
東京では終電近くになると電車は混むし、酒臭いしで最悪な車内環境になるが、大阪周辺では終電でもあんな混み方はしない。
そして俺は今はそういう中心部に住んでいないし、仕事も電車が混む時間帯にそういう中心部にいかなくてもいい仕事なので、電車のストレスもうほぼなくなった。
満員電車に乗ることは東京に行ったときくらいしかないのでかなり本来必要のなかったストレスから解放された。
「普通」を外れると、ストレスから解放されることもある
人と違うことは、日本では疎まれることである。
だけれど、日本はいろんな意味で均質性が高いので、「一般的」とか「普通」の基準からズレると、同じ土俵にいる人数が減る。
そんな環境は「無駄に競争して疲れたくない」と思ってる人とか「大勢の人と一緒にいるのが苦痛」と思っている人には、格好の場所なのかもしれない。
満員電車を避ける方法も同じで、多くの人がやっている生活のパターンからズレるということだ。
一般の生活リズムをドロップアウトする。
「お金のためにも満員電車なんて我慢できる」人も多いのかもしれないが、俺は幸せをお金だけに換算する生き方をしていないので、自分にあった生き方をしたいと思っている。
よく考えてみれば、ドロップアウトするような多くの人からズレている性格をもっているのだから、同じことをしてはストレスが溜まるのは当然なのだ。
ということは、さらにドロップアウト的な方向に向かっていけば、俺にとっては、よりよい生き方につながるのかもしれない。
そうやって「息をする」のと同じくらい自然に生きていける道を模索していきたい。
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