なんのために生きるのか……
生きるとは何か……
生きる理由とは……
生きることにまつわる疑問っていうのは、普段は友達や知人とはあまり話をしない。
浅い関係の友人などは特にそうだけれど、普段は誰かとこういう話題を話せる雰囲気にないことが多いだろう。
「タワー型マンションに住みたい~」とか「ヴィトン最高っしょ」みたいなことを言う人なんかにこんな話しても、ただの面倒くさい人間と思われてしまうかもしれない。
だけれど、こういう疑問というのは、下の記事でも書いたように心の奥底にはいつも顔をだして行ったりきたりしているものだ。
「生きる」ことが当然のことすぎて、こういったことに疑問に思ったことがない人がいたとすれば、おそらくたまたまものすごく幸せな人生を送ってこれた人だろう。
いつか行き詰ったときに、こういう疑問に対峙しなければいけなくなる。
自分や誰かの死や病気に直面したときには、特に意識に出てきやすくなる。
今までにそういうことを考えたりすることがないと、考える筋力が育っていないので、その負担に耐えられなくなるかもしれない。
すべての人間に同じ答えがあるという問題ではないから、個人でそれぞれが一生かけて考えていく問題。
宗教や神話のようなものにすがれなくなった時代の人間は、1人でこんな大変な問題を考え続けなければならなくなってしまった。
そんな状況の中で、ふと「なんのために生きるのか」とか「生きるとは何か」という疑問がわいてきて、インターネット空間を漂い、この記事に辿り着いた人もいるかもしれない。
今回は、今までに書いた記事で「なぜ生きるのか」とか「生きる意味」に関連する記事をまとめてみた。
「なんのために生きるのか」「生きるとは何か」など生きる理由に関する問題は人生にまとわりついてくる
労働すればお金は得れるが、生きる理由は得られない
現在の日本で流布している価値観というのは、「お金になるかどうか」にほぼ支配されている。
仕事ができなかったら=お金を稼げなかったら使えない、価値がない。
ニートや無職は叩かれることが多い。
一方で、お金さえ稼げていたらどんな仕事だとしても、なぜかある程度是認される。
金融システムが発達しすぎたおかげで、何の価値も生んでいないのに、お金を稼いでいる人たちさえいる。
それはとてもおかしいことなことだけれど、「お金を稼ぐこと」が一般に広まっている価値観の大きな部分を支配しているので、あまり疑問に思わないようになってしまった。
資本主義が蔓延しそういう価値観が支配している中で、金銭的にあまり稼げない人や、無職やニートの人は居心地が悪い世の中だろう。
下の記事でも書いたが「社会人」とか「社会に出る」という言葉に象徴されるように、「お金を稼ぐ」=「労働する」ことで初めて「社会」に属すというふうに考えられているのではないか。
労働しなければ社会に属すことができない?
そんな世界を本当にみんなが望んでいるのだろうか。
そういう価値観の中で生きるのが嫌だから、俺もドロップアウトしたようなものだ。
金がすべての世の中では、生産性が最重要視されるので、「使えない人間」や「役にたたない人間」は必要ないということになる。
「会社や仕事は人生のすべてではない」という言葉はよく聞くが、日本の平均労働時間は長すぎるので、会社にいる時間が生活のほとんどの人も多い。
生きている時間のかなりの部分を費やしている時間を、「使えない」とか「役にたたない」というレッテルを貼られた場所で過ごすのはかなりのストレスになってしまうし、そうだとしたら自尊心も傷つけられる一方だ。
存在する意味がわからなくなる。
下の記事ではそういうことについて書いている。
仕事や勉強ができなくて、生きる意味がわからない
「役にたたない」とか「使えない」とか言われ続けていると、自分の存在価値を感じなくなったり、人生が無駄だと思ってしまうこともあるだろう。
だが大きな視点でみると、そうは簡単にいえないのかもしれない。
下の記事で書いたように、「存在価値がない」とか「人生が無駄」だということは、そもそも人間にはわからないとも考えられる。
お金がすべてという物質主義も、この世界のほんの一時期に流行った考え方でしかない。
それにとらわれすぎて、自分の存在価値を見失ってしまうのは悲しいことだ。
努力が台無しに……何のために生きるのかわからない
今まで一生懸命頑張ってかなりの努力をしてきた事が無駄になってしまい、自暴自棄になることもあるだろう。
相当な時間をかけてやったことが無駄になってしまったのだから、徒労感に苛まれるのも無理はない。
だがそれが本当に無駄だったのかについては、実は自分の頭の処理能力を超えていることなのかもしれない。
以下の記事では、そういうことについてちょっとした日常の体験に基づいて書いてみた。
「生きるとは何か」を考える上で、比較はあまり使えない
なんのためにいきるのか、生きるとは何なのかわからなくなって辛いのは、もしかしたら自分を他の人と比べて仕事ができない・生産性が低いとかいうことを気にしすぎているのかもしれない。
人生というのが一定の時間軸に沿って他の人と同じ方向に進むというのは錯覚だとも考えられる。
道は四方八方どこにも延びているのに、目の前にある1つの大きな道をみんなが行くから、その道しかないと思い込んでいるだけということもある。
下の記事にかいたように、人生というのを他の人と同じ基準で比べることで不幸になってしまう人もいるので、外の基準に合わせるばかりではなく、自分の内にも基準をもったほうがいいのかもしれない。
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