最近考えているのは、自分の意識のこと。
意識が自分だと思いやすいが、意識はなかなかコントロールできない。
まず何も考えないということができない。
次々にいろんな考えが浮かんでくる。
目を開いているだけでいろんなものが見えて、それによって連想も浮かぶ。
いつの間にか、過去や未来のことを考えていたりする。
意識が自分だとしたら、自分は自分を制御できていないということだ。
インドの偉大な哲人とか仙人みたいな人の本を読んでて、自分の意識をチューニングするみたいなことが書いてあった。
意識っていうものはラジオみたいなもので、どこに周波数を合わせるかで、反応して変化するらしい。
ヨギはある状態に意識をもっていくために瞑想をするし、ヨガもその過程としてある。
どんな生活をおくるのか、どんな情報を入れるのかも意識のチューニングだ。
今日はそんなふうな本を読んでいて、今の現代人の意識のチューニングについて考えたことを、ちょっと書いてみようか。
自分を変えたいならテレビを捨てる
生活の中でテレビをみることも、意識に影響する。
テレビを見れば芸能人や政治家の結婚、浮気、脱税、逮捕などの話題を一日中流している。
こんな情報を集めたり、作ったり、仕込んだりしている人もたくさんいるんだが……
そうやって作りこまれた情報をマスメディアが伝えて、多くの人の頭がチューニングされて、それが社会の中心の話題かのように思わせられる。
そしてその情報によって、観た人たちの感情が動かされる。
感情の動きに人の行動はまた影響され、自分の知らないテレビに映った人にイライラしたり、悲しくなったりする。
その情報を知ったことで意識的には何とも思っていないとしても、無意識下で影響を受けていたりする。
でも実際こういう情報は自分の人生にどれくらい重要なことだろうか。
あなたがこれからすることにどのくらい関わっているんだろう。
今日のあなたの気分を決める事に関与させるほどに重要だろうか。
多くの人は家に帰ったらテレビをつけるようだ。
こういうふうにチューニングを合わせている。
一方でテレビを捨てるのも一つの選択だ。
なぜなら先にも言ったように、テレビの中で話題にされていることは、観る人には本当に関係のないことだからだ。
俺の人生にとってテレビに映っている人がどうしようがどうでもいいと思って10年以上前に捨ててしまった。
どうしようもない政府がまた税金を上げるとかの情報なら俺の未来に関わるので必要だが、俺の接することのないどうでもいい芸能人がどうしたとかマジでどうでもいいこと。
こんな情報によって自分の心が余分に動かされるのは御免だ。
テレビを全く観ないようになれば、本来の自分に必要のなかった情報がなくなり、その分頭に余裕ができる。
災害の時に必要だと思う人もいるかもしれないが、そういう時は携帯型で電池で動くラジオがあれば問題ない。
テレビは電源がないと動かないし。
インターネットでも意識がチューニングされる
インターネットにはものすごい量の情報がある。
チャンネルを合わせる幅という点で言えば、テレビより圧倒的に広い。
自分の意図した情報にたどりつきやすい。
その点は、テレビなんかのほぼ一方向のマスメディアよりはマシだ。
SNSなんかでも自分の好みにしやすい。
それでも、自分が求めていない情報も入ってくる。
なぜならウェブサイト1つが画面に映し出されていても、そこにはそのウェブサイトに関係ない広告などがでているからだ。
これはウェブサイトを運営する側のことを考えれば、広告費で運営していたりするので仕方ないことだろう。
問題なのは、インターネットを観る側が何時間でもネットサーフィンしてしまうことだ。
これはゲームと同じでなかなかやめられない。
それで気がつくと何時間もやっていたりする。
俺もそうやってつい何時間もネットをやっていることはけっこうある。
そうすると、いつのまにか本当に必要ないどうでもいい情報を取り入れていたりする。
しかもやったあと、こんなに時間が過ぎてしまったと後悔することが多い。
これも悪い方向に意識がチューニングされてしまっている。
なのでネットで調べるときは時間を決めてやるといいかもしれない。
1時間とか時間を決めることで、優先順位がついて、必要のない情報を弄ることを防ぐことができる。
今の自分を変えたいなら、情報も断捨離するしかない
情報は今の世の中有り余るほどある。
情報過多すぎる。
その中で本当に必要なのはわずかな情報だ。
そんなどうでもいい情報にチューニングを合わせていると、自分の人生のことをどこかに忘れてしまうんじゃないかと思う。
頭にどうでもいいことを流して、考えてしまう頭を休ませたいのはわかる。
毎日働いて疲れているから、こういう情報を頭の中に流しておくのも悪くないんじゃないかと俺はおもっていた。
だけど、実際はどうでもいい情報を入れても、ただ頭がぎやかになるだけだ。
どうでもいい情報だが、その情報が頭の中を駆け巡って、違うことを連想させたりするが、それもどうでもいいことだったりする。
そうやってどうでもいいことによって、さらに頭の中がさらにうるさくなって、意識のチューニングは乱れていく。
瞑想をしてから、頭の中を静かにさせるのはこっちの方が圧倒的に有効だと思った。
ほとんどのメディアから入ってくる情報は本来必要ないもの。
人間の頭の容量は一定だ。
なので物を断捨離するのと一緒で、情報も断捨離したほうがいい。
本当に必要な情報を選ばないと、結局どうでもいいことに振り回され続けることになる。
無意識で自分が変わりたいと思っているときがあるのかも
どんな情報を自分の頭の中に入れるかというのも一つの意識のチューニング。
そして、俺の場合、ヨガと瞑想も意識のチューニングに今はなっている。
瞑想することでいかに自分の頭の中にいろんなことが浮かんできて、それが自分の感情と結びついて、迷いを生じさせているのかが少しはわかるようになった気がする。
(まだまだ修行は足りないが)
少し前に突然にお金稼ぎに力が入らなくなってしまった。
それも俺の人生の一つの流れだったのかもしれない。
今はお金を稼ぐことよりも、ヨガと瞑想をしたり、それに関する本を読んでいる方が、俺の人生にすごく必要だという直観めいたものがあるのでやっている。
この後の生活をどうしようとか、そういうことはそのときに考えることにした。
だいたいこういう不安ていうのは後になったら考えなくても済むことだったりする。
そんなどうでもいいことにチューニングをずらされても仕方ない。
なのでしばらくはこの生活を続けようと思う。
質問や悩み相談したい人