幸せな人生、充実した人生とは何なのか。自分を知ることなしにはわからない?

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毎日、誰もが時間の流れの中で生きている。

どうやって時間を過ごすか、時間の流れの中でどんなことを感じているか。

充実した時間なのか、それとも嫌な時間なのか。

最近思うのは、今この瞬間、どういう時間を過ごすのかってことが、その人の人生を左右するのかもしれないということだ。

今までがあっという間という人は、時間を感じる暇がない忙しい人生だったのかもしれない。

それで、いっぱいお金を稼いで名声も獲得したことで「幸せ」を感じられる人もいる。

それは充実した人生の1つなのだろう。

会社が嫌で嫌でしかたがないのに我慢して会社に行くひともいる。

これは結果としてかなり長い時間を「嫌だな~」と思いながら過ごすことになるので、続けていても幸せになれる確率は低いんじゃないかと思う。

会社を辞めたくなって突然消えてしまうかもしれないし、ストレスで病気になってしまうかもしれない。

安定したお金を得られるのはいいが、嫌な時間を多く過ごすことで人生には多くの影響がでるだろう。

大切なのは自分がどう感じているのかということである。

一方で、お金をたくさん稼いだり、名声を獲得することにそこまで興味がなく、「忙しいこと」や「時間のなさ」が原因で充実感を得られない人もいる。

そんな人は、自分の時間感覚を優先したほうが、幸せになれるのではないか。

「時間を大事にする生き方」っていうのは現代の日本では、かなり軽視されている。

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生産性の低い人や、時間をうまくつかえない人は「ダメな人」とされる。

だけど、それはただ生き方の方向性が違うだけなんじゃないか。

人生の道は、生産性を高めて名声を高めること以外にも、いろんな方向に拓いているはずだ。

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「幸せな人生」「充実した人生」の形はそれぞれ違う

人生で大事なのは、生産性を高めて、いっぱいお金を稼いで、異性にモテてたり、多くの人から「すごい」といわれることだけなのか。

それしかないように思っている人がいるとしたら、それはメディアやインターネットで発言力がある人の多くが同じことをいうので狭められているだけだなのかもしれない。

生まれも育ちも、それぞれ違うのだから、全員が同じ方向を見て人生を歩いていくのはおかしいことだとは思わないか。

テレビや雑誌、ネットの言説も含めて、多くのところで、だいたい同じようなことを言っている。

「生産性を高める」とか「効率を良くする」、「年収ランキング」などはどこでもよく見かける言葉だ。

発信能力があるメディア機関や、個人が情報を発信すれば、それは多くの人に広がる。

多くの人は「有名な人」が何か言えば、そういうものなんだと思い込む。

「~の専門家」「~大学の教授」のひとたちは確かにその分野の本を多く読み、調査もしているだろうから、多くのことを知っているのかもしれない。

だけれども、それが真実だとは限らないのは当然だ。

専門家が言ったからといって、自分の人生にもそれが当てはまるとは限らない。

1つの意見だと思って頭に留めておくのはいいと思うが、簡単に信じすぎてしまうのはどうなんだろう。

すごいと思うのはテレビ番組で「芸能人」がコメンテーターをやっていてその意見までをも鵜呑みにする人がいることだ。

「芸能人」に頭の良さを感じているということか。

それとも、未だにテレビに出ている人が偉いみたいなことを思っているのだろうか。

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こういうのをメディア研究の用語で「ハロー効果」というらしいが、メディアに出て発言している人の多くは「ハロー効果」によってお金を得ている。

嘘でもくだらない意見でも言ってお金をもらえるのは本人にとってはいいが、それをマス・メディアで伝えるということは、いろんな人に影響を与えてしまうので、社会的には実に不利益なのであるが。

現代社会でメディアに埋もれて生きていると、こんな具合で、いつの間にか自分の頭で考えることができなくなってしまう。

自分の人生を考える上で最も大事なのは、今までの自分の過去の経験から、あれこれ考えることだと思う。

自分以外の人では、自分がしたのと同じ経験をしている人はいない。

その経験の蓄積というのは、自分が生きていく方向性を考える上では一番重要な情報・データなのである。

今までの人生で、なにが心地よくて、何が不快だったのか。

こんなことだって、自分の人生を考える上では、相当なウェイトを占めることだ。

それを踏まえた上で、他人の意見を参考にするのはいい。

だが、自分の考えを詰めることなしに、専門家や有名な人がいったからと言って、自分の人生にもそうだろうなんて意思決定してしまったら、結局は自分のいきたい道からはかけ離れてしまうことの方が多いだろう。

情報社会で、すごい量の情報が溢れている。

溢れているくらいだから、そればっかり追いかけていると何が何なのだかわからなくなる。

あまりに世界に多くの人がいて、情報が錯綜しているので自分なんてちっぽけな存在だと思ってしまうこともあるだろう

だけれど、自分の人生を考える上での一番重要な情報を持っているのは自分なのである。

自分の意見にこだわりすぎるのを「主観的」と言われ、現代ではネガティブな意味をもっているように感じるかもしれないが、主観も1つの見方であり、そこには自分の人生の蓄積があって、それはそれで大事な見方だと思う。

特に自分の人生を決めるときの意思決定などの場面では。

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自分を知ることなしに、幸せな人生も充実した人生も何なのかわからない

じゃあ、どうやって自分を知るのだろうか。

俺の経験から考えれば、一人の時間をつくるしかないと思う。

一人で旅にでて移動しているとき、一人で喫茶店でボーっと過ごしたり、一人で景色の綺麗な静かな場所で夕日をみたりしていると、俺はなぜか自分に立ち返れるような気がする。

こういう時間は、空白の時間のようで、いつのまにか自分自身の内側の声を汲み取っているような感覚になる。

人と会ってばかりだったり、情報を集めることばかりしていると、そういう感覚を見失うことが多い。

俺はテレビは見ないが、ネットはけっこう使っている。

ネットを長時間やっていると、情報の入れすぎなのか、頭の中がこんがらがってくることがある。

そんな状態が続くと、いつの間にか生きる方向性を失ってしまい、自分が何のために何をしているのかわからなくなってしまうのだ。

そうならないために、俺は定期的に上記のようなことをやっているんだろう。

方法は人によって違う。

それぞれ自分にあった方法がある。

多くの人は理解しているかもしれないが、何に関してもそうなのだけれど、「こうだ!」なんて言い切れる方法なんて実はほとんどないのである。

それくらい真実なんてわからないことだ。

「本当に頭のいい人はわからないということを知っている人」ということをまれに聞くことがある。

これはそうなのかもしれないと、今の俺は考えている。

わからないのが当然なのである。

だって世界は自分の頭とは比べられないくらい大きいのだから。

予想もしないことが次々と起こるのは当然なのだ。

それでも誰もが自分の中に自分の小世界をもって生きているのは事実である。

自分から見える・聞こえる・感じることのできる世界は、自分の中にあるようにも感じる。

意識っていう不思議なものがあるくらいだし。

その中で、それぞれの人が自分を知ること、生き方を模索することが、人生ということなのかもしれない、と俺はここ数年思っている。