親が嫌いだった俺が、その死と対峙して思ったこと

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あっという間に年末だ。

まあ今年もいろんなことが起こったわけだが、俺は今年で公的な書類上で1人になった。

親が死んで戸籍上はこれで俺1人。

もちろんもっと早くいろんなことが起こって1人になる人もいるだろうが、20代とか30代でこういう道をたどる人は全体から見れば少ない方だろう。

なんというか俺は家族縁みたいなものが薄いほうだったのかもしれない。

人生を通して他の家庭もいくつもみてきたが、俺の家は生まれたときから家庭としては多くの欠落を抱えていて、家族関係も悪かった。

友達の中でもまあまあ珍しい。

まあこれも運だろうか。

家族を選んで生まれてくるというスピリチュアル系の人もいるが、それを証明するのはなかなか難しいことだ。

生まれてから、どの家族に自分が当たるかというのは、少なくとも今の自分の意識状態で選んだものではないということだけは言えるだろう。

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家族関係が悪い家庭で生まれたことで身に付いたこと

一方、そういう家族関係の悪い人生を通して、自分に身に付いたものは、たぶん「基本的に人を信用しない」ということだったと思う。

周りに友達はいるし、人間関係は築けている。

でも最終的には誰も助けてくれないと心のどこかで思っている。

そのおかげで、詐欺にあったことがない。

親族は、まあまあ余裕があっていい人はいた。

だが、そういう人であっても他の家庭にまで深入りはしてこないものだ。

困ったときに本当の意味で助けてもらえる人に出会うこともあるらしく、そういう話が美談として語られることもあるが、そうでない人もけっこういると思う。

そして、公的な機関はさらにあてにならない。

何か助けを求めても、ああいうところで担当している人たちは結局他人なんだということを思い知らされることばかりだった。

一方でそういうふうに思うように至った経験を通して、「自立心」みたいなものは身についたのかもしれない。

誰に頼っても結局はあてにならないのなら、自分1人で何かするしかないということになる。

家族がいなくなるということは、暖かい家庭で生まれたものにとっては「寂しい」「辛い」ことかもしれない。

しかし、そうでない場合は「解放」だったり「自由」だったりもする。

俺の友人で、同じような環境の人が1人だけいるのだが、こういった話をしてみると彼も同じようなことを思っていた。

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嫌いだった親が死んだ事の意味

こうやって1人になってみて、何か俺が物心ついたときからあった心の「つかえ」がとれたのかもしれない。

親とは相当気が合わなかったし、普通の親ならしないだろう信じられないようなことをいくつもされたので感情としては嫌いだった。

なので、一度家を出てからはずっと離れて暮らしていた。

積年の怒りは溜まっていたが、葬式でその顔をみたらなぜか一区切りの時が来た感じがした。

今までが、睡眠時の夢の中だったかのような感覚。

これも転機にはふさわしい出来事だったのかもな。

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