ブラック企業が生まれる理由の1つをカフェで見た

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お昼前の時間にカフェで本を読んでいた。

このカフェは収容人数をできるだけ多くしたいのかテーブルの間隔が狭くて、となりのテーブルの話が丸聞こえだった。

男の二人組みが座っているのだが、声も大きく、俺が本を読んでいても、耳に入ってくる。

「Aさん、なんだかんだでも、まだ日本語学校が儲かるみたいよ~」

坊主に近い短髪のヒゲをはやした色物のシャツをきた50代くらいの中肉中背の男が話している。

隣の椅子には、彼のものとみられるジュラルミンケースが銀色にギラギラと光っている。

「僕の友達もやってるんですけどねぇ、でもヒーヒー言いながらやってますよ」

向かいに座った、チェックのシャツを着た、痩せ型で細い目をした男が高い声のトーンで話しを返す。

「いや、ああいうのはねぇ、とにかく人を集める手段をもって個々の学校から手数料を取るほうがいいんだよ。それで手数料を中抜きして・・・・・・」

「今は、日本語学校もかなりできてしまって、教師の取り合いになってるらしいですねぇ・・・・・・。どうやって教師を集めるかですよねぇ・・・・・・」

「教師も、いいのが集まらないとすぐやめちゃうしねぇ~」

こんな話をハッハッハッと笑いを交えながら、延々と続けている。

俺の友人が働いている会社でも日本語学校を経営しているという話を聞いたことがあった。

その友人は、違う業務枠で採用されたはずなのだが、日本語学校でも講師として授業させられたんだという。

もちろん、彼は日本語なんて教えたことさえもないし、教師の経験さえもない。

そんな彼を講師として使ってしまうのも強引だが、生徒からしてみれば騙されているようなものだ。

やっていることはめちゃくちゃなのに、それでも儲かるのだろう。

お金さえ儲かればいいのだ。

どのように人に貢献したいなんていう気持ちも、どんな社会になってほしいという思いもないのだ。

お金が生きる目的になってしまった人たち。

日本にいいイメージをいだいて来た人たち、日本に興味を持って日本語を学びたい人たちに、良質な教育を提供したいなんて思いはほとんどないんだ、こういう人たちには。

先のカフェで話をしていた人たちも、他にも民泊でどうやって儲けるとか、いろいろしていて、とくに志があってやっているわけではなく、金儲けのためだけにやっている感じがプンプンした。

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金儲けしか考えていない会社は、ブラック体質になりやすいのでは

日本語学校の講師をさせられた友人の会社は、残業はもちろん、休日出勤も多く、労働環境はまさにブラック起業のそれだった。

数ヶ月で辞める人も多く、早い人は数週間、数日で消える人もいるらしい。

社長は親の事業を継いでやっているようなワンマンで、社員の数を考えたら無理なことでも、自分でやりたいと思ったら、1人で決めて仕事を従業員に丸投げしてくるという話だ。

「人生に疲れた……」疲れきった人が溢れる社会

なぜ友人が辞めないかといえば、働いているのが地方都市であり、とくに特別な経歴もない彼では、こういうブラックな体質の企業しか正規の社員として雇ってくれるところがないという。

妻をもち、子どもがいて、家族を養わなければならない彼には、とりあえず金を稼ぐ手段として、そこで働くしかない。

こういう会社は、金儲けがすべてのため、従業員のことは、二の次どころか、そのビジネスの仕組みの中で1つのコマとして動いていてくれれば、どうでもいいのだろう。

金儲けの仕組みが動き続ければ、その経営主には金が入り続ける。

もちろん、社会に本気で貢献しようと思って、事業を経営している経営者の人もいるんだろうとは思う。

だけれど、ブラック企業とか社蓄というような言葉がここまで普及している現状があるのだから、金もうけしか考えていない経営者が多いのが現実だろうと推測してしまうのも仕方ない。

「真面目に働けば報われる」という幻想がブラック企業のシステムを補完する

問題なのは、学校教育やマスメディアなどで、「真面目に働けば報われる」というような社会のイメージを植えつけられていることだ。

国語や道徳教育で使われる教材でも、真面目で誠実に働けばやがて幸せになれるという物語のものが多いし、テレビドラマなんかでも、そういう話の筋のものは少なくない。

確かに、「真面目に働けば報われる」社会であってほしいけれど、こういうイメージを植えつけられれば、「いつかは報われるから今は我慢する」という考えの型みたいなものが出来上がり、信仰のようなものになる。

「仕事が辛い~」とか「会社いきたくね~な~」とか言っているブラックな労働環境に耐えている知人は多いが、それでも会社を辞めないのは、この「真面目に働けばいつかは報われる」という理想的ともいえるイメージを社会にもっているからだ。

だが現実の社会は、真面目に働いても報われることはむしろ少ないんじゃあないか。

金儲けしか考えていない経営者が少なくない(おそらくむしろ多い)のだから、そういうところに当たってしまったら、真面目に働いても、その経営者がつくった金儲けのためのコマにされて使い捨てにされるだけだ。

結局、人を騙すくらいのあくどさをもっていて、自分の欲望を満たすためなら手段を選ばないくらいの一般的道徳心が欠如している人の方が、圧倒的なお金を得て、「普通」に言われるような「幸せ」なんて超越して巨額の富を占めて、そうでない人が困窮しているのが現状なのじゃあないか。

真面目に働けば報われる社会をつくるなら、こういう人たちを制限するための法律をつくって社会の仕組みを整えなければいけないはずだが、欲望にギラギラした人たちが会社の経営者で、そういう人たちが国会議員に献金したり密接な関係があるから、ブラックな労働環境はきちんと制限されることなく結局放置され続けている。

こういう人たちが、社会の仕組みをつくっているんだから、「真面目に働いても報われる」という社会イメージをもっていたら、いいように使われて終わるだけになってしまう。

ブラック企業の社員で働くなら、バイトしたほうがいい

働きたくないニートやフリーターは、ブラックな労働環境へのアンチテーゼ?

ニートやフリーターと言われている人たちは、こういう仕組みの社会に対する「疑問符」として自然に発生した人たちなんじゃあないかと思う。

ニートやフリーターが生まれるのは問題なのではなく、その背景にある、お金を得たい欲のためだけにやっている経営者たちが作った労働環境が問題なのではないか。

本当は働けるはずだとか言って、労働力としてもったいないとかいい、この自然発生を「問題」としたい人というのは、自分たちの作った金稼ぎシステムに組み入れて、労働力の1つのコマにしたい人たちだろう。

働かない人が増えれば、税金が足りなくなるなんていっているけれど、それもこういうシステムを作った人たちがこの厳しい労働環境を強いた自然な結果。

欲望むき出しで貪欲に金を弄る人たちが作るシステム自体に無理がきている証拠なんだろう。

政治を通して、社会システムの仕組み作りに直接に関わることができなくなった人たちが、システムに耐え切れなくなって自然変化したのがニートやフリーターだとするなら、今の状況を見る限り、その数はこれからも増えていくに違いない。

人生に疲れたなら、無職やニートになってもいい

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