働きたくないのに会社でなぜ働くのか? 仕事の「我慢」には洗脳が潜んでいる……

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人間は、毎日、同じように毎日同じことを繰り返しているほうが楽らしい。

朝起きて、顔を洗って、食事を食べて、準備をして、会社に行って、仕事をして……というルーティンを毎日繰り返しているのがほとんどの人の生活だろう。

「機械と違うんだ!もっと有機的で偶然に溢れてる毎日だ!」

という人もいるだろうが傾向としてはある程度、毎日同じことを繰り返すようになっているという話。

この一定を保ったり同じことを繰り返すという習性を使うと、新しいことでも何度も同じことをやることで脳に刷り込まれ、プログラムのように反応があれば、それに対する反応を繰り返すようになる。

パブロフという生理学者が行った「パブロフの犬」という実験が有名だ。

パブロフ犬」の実験
パブロフは、イヌの唾液分泌の実験中に偶然発見したと言われる。この現象に気づいたパブロフは、その後実験を重ね、条件反射の研究を行なった。当初この現象を精神反射と呼んでいたが、その後条件反射と呼ぶようになった。

実験内容
パブロフが行なった実験は、以下のようなものである。

1.イヌにメトロノーム(ベル・ホイッスル・手拍子・足踏みと言う説もある)を聞かせる。
2.イヌにえさを与える。イヌはえさを食べながらつばを出す。
3.これを繰り返す。(上記の二つのプロセスを条件付けという)
4.すると、イヌはメトロノームの音を聞いただけで、唾液を出すようになる

Wikipedia 「条件反射」の頁より引用

唾液が出る反応でさえ、こうやって刷り込むことができる。

何度も同じ刺激と反応を繰り返すことで、ここまで刷り込むことができると思うと、けっこう怖い。

毎日自然とやっていると思うようなところでも、刷り込みが行われているかもしれないと思ってしまう。

メディアで繰り返し流れることや、教育と称して延々と教えられるまれていることは、実はこういうことなのかもしれない。

そういえば、街を歩いていても、チェスターコートに少しオーバーサイズのニットの組み合わせ、またはMA-1ジャケットを着ている人間が異様に多い。

テレビや雑誌、ネットの記事などで、芸能人がこういったファッションをして、「かっこいい」「かわいい」の刷り込みを繰り返しているのだろうと予想がつく。

メディアに露出する「芸能人」=「かっこいい」「かわいい」の刷り込みがすでに完了しているので、その人たちが着るものも「かっこいい」し「かわいい」ように見えてくる。

そして、俺も私もそれを着てかっこよく・かわいくなりたいとなって、そのモノをほしくなる。

こういうのを横文字をつかって、「マーケティング」なんていったりするが、言い方を変えれば「洗脳」なのである。

「かっこいい」とか「かわいい」なんてものは、現代ではその人のセンス云々ではなく、メディアを使った刷り込みによるところが大きいのではないか。

自分で選んでいるようで、選ばされているのが実情だろう。

昔の親の写真をみて、その子供が「ダサいかっこうをしている」と思ったとしても、10年後に自分の写真を見て同じことを思う可能性は大いにある。

(今のMA-1に細いパンツをあわせるのだって80年代に流行った恰好で、ネタが尽きたファッション業界がリバイバルさせただけで、流行が過ぎたらダサくみえるかもしれない)

それくらい、メディアを使えば、知らぬ間に感覚的だと思えるところまで刷り込むことができる。

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日本の学校教育だけでなくメディアでも「我慢」を刷り込まれる

教師に逆らわない、先輩や目上の人には逆らわない、ということを教育と称して、義務教育課程で教え込まれる。

教師は一段高い場所に立って、下にいる生徒に向かって授業をするというスタイル自体、暗に教師は生徒より偉い、逆らってはいけない、ということを暗に刷り込むし、全校集会などで校長が高い台に立って話をするのも同じだ。

体育教師の大人の力でねじ伏せる行為もそう。

「前習え」で整列させられ、夏の日中の暑い日ざしの中でもずっと立っていることを強いられ、喉が渇いても我慢する。

先輩後輩の関係も、理不尽なことでも我慢する。

そういう経験の後、たまにほめられたりして、褒美を与えられる。

あぁ、これはパブロフの犬では?

そうやって小さい頃から、「我慢する」ということを延々と刷り込まれる。

教育課程を終えて、会社で働く頃になると、上の命令に従順に従い、無理難題でも耐えようとする従順な社員が出来上がるのである。

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「働く」=良いこと、ということだってそうだろう。

メディアをちょっとみれば、ギリギリまで頑張るサラリーマンが「かっこいい」姿としてドラマやドキュメンタリーで映されるし、昔は「24時間戦えますか?」なんてキャッチコピーを打つCMまであった。

多くのサラリーマンがみる雑誌には、苦労話の後に出世する成功譚が今でもよく掲載されている。

毎日、私たちはこういうメディアを目にしているのだ。

自分でテレビを見たり、ネットをみるという行為を選んでいるかのように見えるけれど、そこで入ってくる情報にはかなり受動的でいつのまにか刷り込まれてしまうのである。

理不尽でも我慢する行儀のいい人間を量産すれば、雇う側には都合がいい

こうみると、教育やメディアを通して、雇う側にとって都合のいい労働者の心得をいつの間にかインストールされているような気もする。

常に受動的な態度が形成されているので、ストライキもデモもやらない。

そうやって怒りを表出させないことを、道徳的などと言って褒め称える。

税金を高くされて社会保障を切り下げられても、どうせ自分たち小市民が何をやっても変わらないというイメージを形づくられていて、たてつくみたいな面倒なことはやらないで上には従うだけという態度の人も実に多くなっている。

目上の人には逆らわないほうが、軋轢なく手間になることもない。

起きて、食事をして、仕事をして、帰ってテレビをみて寝て……という毎日を繰り返し、社会のシステムのことは他の人にお任せしていたほうが楽である。

だけれど、その間に、自分の生活に大きく関わるようなことが、一部の人たちによって勝手に決まってしまっているのだが。

政治というのは、国境で線引きした一定の地域に住む人から税金という名目で集めたお金をどうやって配分するかを決めている。

それが、少数しかいない一定の層に牛耳られていれば、お金の配分はその一定層に有利になるのが当然だ。

政治に関心を持たない人間が増えれば、こういう不平等な配分をやってもバレない。

多くのお金を持ってない層は、それが自分にとって不利でも面倒だから何も言わない。

あるいは興味がないので気づかない。

だが政治に関係するのを放棄していれば、実は自分の幸せになる環境をつくる権利を放棄しているのと同じことになってしまう。

こう考えてみると、自分たちの幸せよりも、雇う側またはお金をもっている層に延々と奉仕し続ける行動をするようにいつのまにかインストールされている気がしないだろうか。

小さい頃から独立心を摘まれて受身の人間が作られると都合がいい人たちがいる

従順になることを小さい頃から刷り込まれていることで、会社で働くという選択肢が当たり前の自然なことになる。

また、「真面目に働く人間=まともな人間」と当然のことかのように信じ込むようになる。

教育というのは、この世で生きる最低限の知識を教えるという立派にみえる建前もあるが、人間がどう動くのかを一定度決めるソフトウェアをインストールするようなものという見方もできる。

自分では意識していないようなことまで自然とそうなるように刷り込まれているのである。

ところで、雇う側の人たちは、親からお金を継いでいたり、親のやり方をみることでお金を獲得する上手い方法を知る機会が多い。

また自分の稼いだお金を税金で取られる分量をできる限り少なくする方法を知っているので、いろいろな方法で回避して、お金をどんどん溜め込む。

たまに見せしめとして、脱税で捕まる人もいるが、あんなのは全体から見ればチリみたいなもので、うまくすり抜けている人なんて山のようにいるのだ。

実際、パナマ文書に名前が載っていた企業なんて、相当な脱税をしている人たちなのだし、あれは氷山の一角だろう。

けっこう大変なことをやっているのだけれど、大企業の経営者たちは、政治に介入できるくらいのお金と権力をもっているので、逮捕されずに済んでいるのだ。

正義は権力によってつくられる。

そうやって、どんどんお金を溜め込んでも、会社の労働者には、適切に賃金を回さないのが現実である。

内部留保:増え続け377兆円 賃上げ、投資 迫る政府 | 毎日新聞
企業が蓄えたもうけを示す「内部留保」が増え続けている。財務省の法人企業統計によると、2015年度は377兆8689億円と前年度から約23兆円増加し、4年連続で過去最高を更新した。アベノミクス効果をアピールしたい政府は、来年の春闘もにらんで賃...

企業側と闘争するための労働組合もほとんど機能しないし、労働者側も小さい頃から従順に飼いならされているので、これでも何も文句を言わない状況が続いている。

行儀のいい従順な労働者の価値観は、誰にとって得なのか

ところで、普通に会社で働いると、税金はいつのまにか給料から引かれていて、何をどのくらい払っているのかについて、あまり意識しなくなる。

だが、独立して雇われない自営業を生業としている人たちは、自分で確定申告という形で、収入を報告して、その収入分の税金を払うという形をとるからか、税金に関してシビアな目になる傾向があると思う。

となると自然と、自分の住んでいる自治体や国が税金を何に使っているのかにも注意が向くようになるだろう。

結果、どうやったら、自分が生きるのに良い環境を作れるのかを考えるし、その環境の方向性を決めている政治にも関心がでてくる。

これはある意味、1人1人が選挙権を持って、何かを決めるという民主主義の前提をつくることにもつながるはずだ。

だがそういう独立心の芽が、先に述べたように小さい頃から教育と称して摘まれているのが、現実ではないだろうか。

多くの人が、自分の生きるためのお金を得るため会社で働くのを当たり前として、面倒なことは他の人に任せるというふうになっていけば、昔からずっとお金を持っていて支配層にある人たちは、自分たちの権益が固定化されて、うれしいことしかない。

日本の企業の上層部や国会議員、官僚のトップなんてものをみてみれば、上流階級の2世3世がウヨウヨしているが、それも現実がそういうことになっている証拠だろう。

全部人任せにして、コマとして扱われたくてしかたないM気質を、教育が育んでいる。

ブラック企業で我慢して従順に働いてつぶされるくらいなら、バイトで自由な時間を得ながら生きていたほうが生活の質はいいし、無職でも生きていけるならそっちの方がいいのではないか。

ブラック企業の社員になって社蓄化するくらいなら、バイトしたほうがいい
ブラック企業で、朝から夜遅くまで働かせられて、 心身ともにクタクタになって、 小さな幸せも感じないくらいの疲れた状態に追いやられてるのなら、 さっさとやめてしまったほうがいいかもしれない。 ブラック企業は個人のことなんて、 ただの「人材」、...

教育の質があまりに酷いので、働きたくないニートが生まれてきたのも、それに対抗するという意味で自然の摂理なのかもしれない。

むしろこういう教育によって育まれた「従順さからはみ出た人間」が増えることで、生きるのにまともな環境が整えられるのかもしれないと思う。

働きたくないのは人に雇われたくないだけ? 会社を辞めても稼ぐ方法を考える
しばらく前に遠くに住んでる友人がやってきた。 1年ぶりにあった友人は、会社にかなり無理を言って2週間くらい休みをとり、国内を旅行中だった。 彼女の関心は最初は料理にあって、1度東京に出てきて飲食業に従事していたのだが、食べ物への関心が深まり...
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