身内の葬儀から死に方を考える。葬式が高いので簡単に死ぬことはできないらしい。

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時間が淡々と流れていく。

最近は別に大したことはしていない。

土日に仕事をして、それ以外は掃除や洗濯などの家事をしたり、喫茶店にいったり、散歩をしたり、サイトをいじったりしている。

前にも書いた通り、祖母の死という出来事があったため、それから派生する心理的なことが要因でやる気相変わらずない。

だが気分的には少しずつ回復しているはずだ。

人が死ぬというのは大変なことだ。

やることが山のように出てくる。

東京みたいな都市とは違って、俺の実家は地方都市の外れにあるような街なので、比較的昔からの慣習が残っている方だからかもしれないが。

葬儀の手配、役所での手続き、地元の寺の坊さんの手配、お墓の手配、それから死んでから7日目の初七日、二七日、三七日、四七日…と四十九日の法要の手配、その後のお清めの食事の手配、位牌の手配、納骨のときの石屋の手配など。

昔は家で葬式もやっていたので、もっと大変だったという。

確かに俺の小さいころを振り返ってみれば、今みたいに葬儀屋のホールみたいなところではなく、その人の住んでいた家で葬式をやっていた記憶がある。

祭壇をつくるのに家の中のものを大がかりに動かしたり、お清めの食事などを大量に作ったり、家族も親戚も近所の人にまで手を貸してもらわないと終わらないくらいの仕事量だったようだ。

今回の葬儀も親戚にだいぶ手伝ってもらえたのでなんとかなったけれど、1人だったらやばかった。

葬儀屋も親戚の知っている人だったのでだいぶ良くしてもらえたし、気軽に相談できたし。

こんなの週に5日働いてたら無理だろうと思う。

悲しいわ、仕事も休めなくてやらなきゃいけないわ、葬儀や法要の手配もやらなくちゃいけないわだったら、倒れてしまうのではないか。

休むのも気を使うし、取れても1週間くらいが限度だろう。

人の死もちゃんと受けとめる時間がないくらいに現代は忙しい。

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葬儀の費用が高すぎたので、自分の死に方を考えてしまった

忙しい現代に合わせて、最近は葬儀もその後の法要もその社会に合わせてだいぶ簡素化されているようだ。

簡素化されたとは言え、葬式だけで一般葬にしたら合計で100万くらいのお金がかかる。

金額を知って、死ぬのでさえこんなに大変なのかよ、と思ってしまった。

家族葬にすればまあまあ安くなるが、家族だけしかお別れのあいさつにこれないので、無くなった方の知り合いが多い場合は浮かばれないだろう。

そこにさらに坊さんをよんだりするんだから、どんどんお金はかさむ。

死んだ後の名前として戒名をつけたりすると、高いやつならそれだけで何十万とお布施が必要だ。

うちは祖母が葬式費用を周到に準備していてくれたので、うちはなんとかなったが、これからの時代、俺も含めてこんなに死ぬのにお金がかかるようでは簡単に死ぬことさえできないだろうと思った。

葬儀が終わってから、ネットで葬儀のことを色々調べてみたが、時代に合わせて格安の葬儀のパックが用意されているみたいだ。

人をあまり呼ばない家族葬で、すごく簡素にすまして安くしても下のリンクの会社くらいのお金はかかる。

全国対応のシンプルなお葬式 16.3万円〜

一般葬にしても、うちのよりはずっと安いところもあるようだ。

でも、葬式っていうのは突然準備しなくてはいけないから大変なんだよね。

こういうことがあると、自分の死に方を考えてしまう。

俺は、墓に埋められたくないし、海に流してほしいな~と思っていたら、それを請け負ってくれるところもあるらしい。

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完全に委託して海に流すだけなら5万だ。

葬式はこれからどんどん簡素に安くなっていくのだろう。

いいのか悪いのかわからないが。

今回の場合でも、葬儀と四十九日の法要を一緒にやったり簡素化したけれど、それでもやることはかなりあった。

親戚によると、あえてやることをたくさん作ることで悲しんでばかりではいられなくしてあるらしいけれど。

まあ確かに忙しくて、親戚の往来もかなりあったので、悲しみを和らげることにはなったのかな。

四十九日が終わって、いつもの自分の生活に戻れてきた。

でも俺をとりまく環境は確実に変わったと思う。

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