運が悪いとか人生の行き詰まりを感じたり、生きる意味を考えてしまう人間の性

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道を歩いていて、信号があとちょっとで変わるという場面には誰もが出くわす。

あるいは、ちょうどよく信号が変わって、スイスイ進むときもある。

おお!今日はラッキーだ

なんてことをそんなときは思ったりする。

また、ちょうど良く信号が赤になって、早く先に行きたいのに行けないこともある。

急いでいるときなんかはちょっとイライラする。

赤信号が続くときもある。

マジかよ~、運が悪いな~なんて思ったりもする。

ついこの間の話だが、ちょっと買い物に行こうと思って近くのスーパーに向かっていたのだが、全部で信号に3つほど出くわした。

最初の信号は赤。

次も赤。

次も赤。

大した用事もないのに、ちょっとイライラしてなんか今日は運が悪いのかな~と思っていた。

だけれど、買い物を終えて、スーパーをでたら、信号がちょうどよく変わって青に。

続く信号も青。

考えてみれば、この信号が連続で青になるタイミングは、さきほど赤で止まっていなかったらありえなかっただろう。

こう考えてみると、信号で連続で足止められたとしても、それはそのまま運が悪いということでもないかもしれない。

出来事をとらえるとき1つの考え方としてこういう考えかたはある。

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人生に行き詰まり、運が悪いとか考えてしまう。その原因を人間が知れるのか?

人生でも同じように考えることもできる。

こうなってほしいという未来を想像して目標に向かって進んでいても、行き詰ったり足止めされることはある。

突然、怪我をしたり病気になったり、会社をクビになったり、長年付き添ったパートナーがいなくなったり……

どうしようもないことが、不意に起こってくる。

病気になったのは、自分が生きるのが早すぎて疲れてしまっていたから、その警告だったのかもしれないし、会社をクビになったのは自分に合った仕事が見つかるサインだったのかもしれない。

あるいは、病気になって仕事もクビになり、さらにパートナーと別れるなんていうことが続いたりすることもありえる。

その出来事につづいて、いいことが起こるのかもしれないし、起こらないかもしれない。

こういう考え方は結果からの逆算だ。

次にいいことが起これば、その出来事への布石だったともいえるし、次に都合の悪いことが起きれば、運が悪いっていうことになる。

それでも、「結果よければすべてよし」なんて言葉があるみたいに、最終的にいいことが起きれば、悪い出来事の意味づけも変わってしまう。

この考え方は結果次第でなんとでも変わるし、その原因を探るのにも、自分の見える範囲のことでしか原因を探ることはできない。

だけれど現実の因果というのは、本当に複雑なもので、人間に見える以上のことが、数え切れないくらい組み合わさって起こっているのかもしれない。

生きる意味って何? 意味がないことに耐えられない人間

ある場所で、ある時間に、自分とそこにいる人間、あるいはその場にたまたまいた生き物、その場にたまたまあったモノなどの組み合わせによって、様々なことが起こる。

自分だけでなく、様々な主体があって、その主体が時間の連続の中でそれぞれに動いて、出来事は連続的に起こっている。

そういう出来事の連続に意味を与えずにいられないのが人間だ。

無意味ということに耐えられない。

耐えられないからいろいろと考えてしまう。

出来事自体には、本当は意味なんてないのかもしれないのに、それを普通は疑わない。

ただ出来事が次々に起こっていくだけ、とも考えることもできるのに「なぜ」とか「どうして」とか、人間は出来事が起こった理由をもとめてしまう生き物だ。

そうやって「なぜ」とか「どうして」を考えると、前述したように結果に左右されてしまう。

その後にいいことが起これば「タイミングを整えていた」というようにも考えられるし、その後に不運なことが起これば「あのときに~していれば……」と後悔するかもしれない。

だけれども、その出来事自体に良い悪いという判断をするというのは、本当はすごく難しいことだ。

結果から考える方法だと、ずっと先の未来になってみないと、そのときの出来事が良かったのか悪かったのかなんて判断できないということになる。

だいたい、この方法だと、自分の見える範囲で探ることしかできない。

自分の見えないようなところで起こったことが自分の現実に影響しているかもしれないが、それは1人の人間が考えられる範囲を圧倒的に越えている領域なので人間の手の届かない領域のことなのでわからない。

そんなことを考えていたら、学生の頃に、カントの『純粋理性批判』を読んだことを思い出した。

知らない言葉たくさん出てきてクソ難しくて挫折しそうになったけれど、いくつかの入門書や解説書に助けてもらい、やっとのことで読めた。

あのころから、生きる意味とか、真実とか、自分の認識が正しいのかとか、そんなことを考えていたけれど、現在でもこの世界というのは考えれば考えるほどによくわからない。

自分の人生の意味、生きる意味なんていうのも、考えれば考えるほどによくわからないものだ。

1人の人間なんて世界のほんの一部分だし、真実をみるなんてそんな大そうなことはできやしないのだろうけれど。

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